中上健次は小説家として活躍していた!戦後生まれでは初の快挙とは!? 中上健次のプロフィール 職業:小説家・エッセイスト 生年月日:1946年8月2日 死没:1992年8月12日 出身:和歌山県新宮市 代表作:岬(1976年) 第74回芥川賞受賞 中上健次氏生誕の地 春日町周辺 新宮滞在中、春日町には3回程訪問させていただきました。中上健次資料収集室にお邪魔をし、当時の写真を見せていただきましたが、現在は「バラック建ての家屋」は残っておらず、綺麗な集合住宅が並び、そこには「中上健次の世界」は無くなっていました。 『火まつり』(ひまつり)は、1985年に公開された、三重県 熊野市 二木島町を舞台にした映画である。監督は柳町光男、主演は北大路欣也・共演は太地喜和子ほか。. した夏期市民大学が、生前の中上健次の発意によって新宮市で開催されるようになった。 私は以前からこのような明治以後の新宮に関心を抱いていたが、この関心を特に掻き 立てたのが、今から10年余前に読んだ一編の小説である。その頃、私は名古屋に住ん 中上健次生誕の地:春日町界隈(春日4~10)【地図】日本の現代文学の旗手であった中上健次(1946~1992)が生まれ、そして多くの小説の舞台となった路地跡。代表作「枯木灘 (河出文庫)」「千年の愉楽」「奇蹟」などはここを舞台に描かれており、中上健次案内板もあります。 中上 健次 なかがみ・けんじ(1946年8月2日 - 1992年8月12日)小説家。和歌山県新宮市生まれ。和歌山県立新宮高等学校卒業。羽田空港などで肉体労働に従事したのち、執筆に専念。紀州熊野を舞台にした数々の小説を描き、ひとつの血族と「路
残念ながら、中上は最初の「卒業者」になりましたが、熊野大学は中上の遺志を継ぐ人々によって、いまでも毎夏新宮市高田のグリーンランドを中心に開かれています。後年、中上は、高校時代の同級生たちと、熊野復興を掲げて「熊野大学」を立ち上げています。「建物もなく、入学試験もなく、卒業は死ぬとき」を合言葉に発足した自主講座には、多くの作家や芸術家が参加しています。引退していた歌手の都はるみが復活したのも、本宮の大斎原での公演がきっかけでした。1946年(昭和21年)8月2日生まれの中上は、県立新宮高校を卒業するとすぐに上京します。東京オリンピックで大きく変貌を遂げた直後の東京で、同人雑誌「文藝首都」で文学修業をし、ジャズにも堪能する日々を送ったそうですが、その後の活動の養分はここで培われました。そのころ、のちに芸術や芸能など、さまざまな分野で才能を開花させる人たちが東京・新宿に集まり、切磋琢磨していました。ビートたけし(北野武)もそういう一人として中上の知り合いだったそうです。1988年(昭和63年)、テレビドキュメンタリー「ライターズ・オン・ザ・ボーダー」の撮影が、東京や熊野で行われています。世界の作家5人のうちの一人に中上が選ばれ、翌年ヨーロッパ各国で放映されました。そのようなことから中上健次とも交流があったのかもわかりませんね。 海光る3月。私生児としての生い立ちに昏い痛みを覚えながらも、美しく利発な娘に成長したフサは、十五になった春、生まれ育った南紀の町をあとにした。若々しい肉体の目覚めとともに恋を知り、子を孕み、母となって宿命の地に根をおろすフサ。しかし、貧しくも幸福な日々は、夫・勝一郎の死によって突然に断ち切られた。子供を抱え、戦時下を生き延びる過酷な暮らしの中で、後に賭博師の龍造と子を為し、秋幸と名付ける。しかし龍造が賭博で刑務所に入っている間、他の二人の女を孕ませていたことを知り、フサは秋幸には龍造を父と呼ばせぬと宣言する……。男女、男男、男女男、女男女……若く逞しく美しい高級ジゴロ、イーブは一切、相手を選ばない。マネージャーのチョン子が決めるまま、誰の相手もつとめ、ジムナジウムで筋肉を鍛えあげる。なぜ彼は「性のサイボーグ」に徹するのか?熊野の「路地」からはるかな遍歴の果てにたどり着いた東京で、世のあらゆる汚辱と恥辱を一身に受け止める彼の“目的地”はどこにあるのか。全編にみなぎる過激な性とインモラルな描写で大きな反響を呼んだ、中上文学ならではの大胆、破天荒な長篇小説。〈重力=物語〉に引き寄せられる男と女。その愉楽の世界を豊麗な言葉によって語り、著者自ら谷崎潤一郎に捧げると誌した連作短編集。「路地」に生まれたタツヤ、在日韓国人二世のシム、アイヌモシリのウタリ──胸の同じ場所に、同じ形の青アザを持ち、互いの血を啜り合って義兄弟の契りを結んだ三人の屈強な男たち。そのアザの形に旧満州の地図を重ね見る右翼の大立者・槙野原は、空手の猛者である三人を前に、青アザの三勇士による満州国の再建を説く。中上文学の新たな出発を記す意欲作として連載中から注目を集めた大長編。小説家。和歌山県新宮市生まれ。和歌山県立新宮高等学校卒業。羽田空港などで肉体労働に従事したのち、執筆に専念。紀州熊野を舞台にした数々の小説を描き、ひとつの血族と「路地」のなかの共同体を中心にした「紀州サーガ」とよばれる独特の土着的な作品世界を作り上げた。1976年『岬』で第74回芥川賞を受賞、戦後生まれで初めての芥川賞作家となった。この作家の郷里である紀州を舞台にのがれがたい血の宿命の中に閉じこめめれた、一青年の渇望と愛憎を、鮮烈な文体で描き出し、広く感動を呼んだ第74回芥川賞受賞作。予備校生のノートに記された地図と、そこに書き込まれていく×印。東京で生活する少年の拠り所なき鬱屈を瑞々しい筆致で捉えた青春小説の金字塔「十九歳の地図」、デビュー作「一番はじめの出来事」他「蝸牛」「補陀落」を収録。戦後日本文学を代表する作家の第一作品集。『枯木灘』『鳳仙花』等の力強い文学的達成のあと、更に新たな表現の地平を拓こうとする果敢にしてエネルギーに溢れた“挑戦する志”。現代の文学を全身で担おうとする中上健次の奔騰し凝集しつづける表現の“渦”。重い血の記憶がよどむ南紀の風土のなかで原始的な本性に衝き動かされるままに荒々しい生をいとなむ男の姿を、緊迫感溢れる文体で描く短篇集。若い女との気ままで怠惰な生活をなじられ、衝動的に両親を殺すに至る表題作の他、「荒くれ」「水の家」「路地」「雲山」「荒神」の6篇を収録。獣のように性を貪りつくそうとする男たちに対し、ある女は、自らの過去を封印し、その性に溺れ、またある女は、儚い運命のなかにそれを溶かし込む。またある女は、男の性を弄ぶ。紀伊を舞台に、土俗的世界に生きる男女の性愛を真正面から描いた傑作短篇5作。緊密な弾力のある文体で、性の陰翳と人間の内部の闇を描破した中上文学の極北。“オリュウノオバ”が住む路地裏にある七代のろわれた中本の家。そこに、突然生まれた肌の黒い子・マウイ。10歳で女を知り、中本の若衆に育ったマウイは、オリュウの謎のような言葉と中本の血の逆流に突き動かされ、故郷フジナミを棄て、欲望の巷へと向かう…。本書は、『異族』『千年の愉楽』の世界に新しい展開を試みた野心作であり、現代風俗を描き切った作者会心の青春小説である。金色の小鳥が舞い、夏芙蓉の花が咲き乱れる紀州・新宮の路地。歌舞音曲に現を抜かし若死にするという七代にわたり仏の因果を背負った、淫蕩の血に澱む一統・中本。「闘いの性」に生まれついた極道タイチの短く苛烈な生涯が、老産婆オリュウノオバ、アル中のトモノオジにより幻惑的に語られる。人間の生と死、その罪と罰を問うた崇高な世界文学。中上健次が実母をモデルに、その波瀾の半生を雄大な物語へと昇華させた傑作長編。熊野の山々の迫る紀州南端の地を舞台に、高貴で不吉な血の宿命を分つ若者たち―色事師、荒くれ、夜盗、ヤクザら―の生と死を、神話的世界を通して過去・現在・未来に自在にうつし出し、新しい物語文学の誕生と謳われる名作。若き中上健次が、根の国・熊野の、闇と光、夢と現、死と生、聖と賤のはざまで漂泊する、若き囚われの魂の行脚を、多層な鮮烈なイメージに捉えようとして懸命に疾走する。“物語”回復という大きなテーマに敢えて挑戦する力業。短篇連作『熊野集』、秀作『枯木灘』に繋ぐ、清新な15の力篇。入り組んだ血の関係、四代にわたる抗争、女たちの嫉妬――。優しくて、ワルで、ちゃらんぽらんで、実がある。元暴走族の青年・五郎にからみつく言い知れぬ不安…。中上文学の新展開を示す遺作。トップレス・バーで働く美人の真知子と遊び人のカズさんが、夜となく昼となくくり広げる愛欲の日々…。新しい愛の形を必死に生きる男と女の運命を鮮烈な感性でとらえた長編。男たちに身を売り、男と出奔し、女たちからもののしられて死んだ母。その奔放な血を背負い、故郷・紀伊大島を旅立った19歳の道子がたどる、愛欲の軌跡―。路地を出ざるをえなくなった青年と老婆たちは、トレーラー車で流離の旅に出ることになる。熊野、伊勢、一宮、恐山、そして皇居へ、追われゆく聖地巡礼のロードノベル。この小説は、著者独自の哀切な旋律を始めて文学として定着させた記念碑的作品とされ、広く感動を呼んだ。この作品では多くの登場人物が出てくるが、その多くは血縁関係のある人物であり、複雑に混ざり合った男女の性交の結果である。主人公はその複雑な血縁関係を恨み、父親を恨み、報復してやるのだと向かったのは妹の元であった。その憎たらしい父親の血は確かに自分の中に塊として存在していた・・・。表題作のほか、「火宅」「浄徳寺ツアー」など初期の力作三篇も収めている。若さはあまりに、酷すぎる!ジャズや喧嘩にも情熱を失った、やるせない青春の痛みと憤りを、豊かな感性とのびやかな筆で綴った表題作他。溢れる資質をみなぎらせた作品集。紀州・熊野の貧しい路地に、兄や姉とは父が異なる私生児として生まれた土方の秋幸。悪行の噂絶えぬ父・龍造への憎悪とも憧憬ともつかぬ激情が、閉ざされた土地の血の呪縛の中で煮えたぎる。愛と痛みが暴力的に交錯し、圧倒的感動をもたらす戦慄のサーガ。戦後文学史における最重要長編「枯木灘」に、番外編「覇王の七日」を併録。セックス、煙草―悪ぶってみせるボクは18歳の高校生。暴力的ともいえる若者の荒々しい反逆のエネルギーを鮮烈なタッチで描いた表題作他、バイタリティにみちた初期作品を収録。クスリで濁った頭と体を、ジャズに共鳴させるジェイコブ。癒されることのない渇きに呻く十九歳の青春を、精緻な構成と文体で描く。渦巻く愛と憎しみ、そして死。灼熱の魂の遍歴を描く、青春文学の金字塔。「秋幸もの三部作」よりも以前の時代を描く、秋幸の母・フサの波乱の半生を描いた物語。紀州を舞台に圧倒的な物語を紡いだ現代文学の巨星が芥川賞受賞作『岬』、代表作『枯木灘』を凌駕すべく挑んだ最高傑作。 中上健次のオリジナル脚本により、古代の神話そのままの熊野を舞台に中上ワールドを映像化している。 中上健次は、1946年に和歌山県新宮市の被差別部落で生まれました。自身の作品の中ではその部落を「路地」と呼んでいます。この被差別部落の存在もかなり複雑ながら、中上健次の家庭環境もかなり複雑 … 中上健次は早稲田大学受験のために上京したのですが、執筆活動を始めたことで大学受験を辞め、同人誌にエッセイや小説を投稿し続けていました。その作風は、アメリカの小説家ウィリアム・フォークナーの影響を強く受けていると言われています。中上健次(なかがみけんじ)は、1946年生まれの小説家です。腎臓癌により、1992年8月に46歳という若さで亡くなりましたが、業界では今でも伝説の作家として語り継がれています。高校生の時に「俺十八歳」という小説を書き始めた中上健次。同作は、高校卒業後に会員となった東京の文芸同人誌「文藝首都」に掲載されました。また、中上健次の長女は作家の中上紀(なかがみのり)です。2000年に発表した「彼女のブレンカ」ですばる文学賞を受賞。他の著書には「シャーマンが歌う夜」「月下の旅人」などがあります。80年代は精力的に作品を発表する傍ら、アメリカの大学で客員教授を務めたり、三島由紀夫賞、文學界新人賞などの文学賞で選考委員を務めたりと、多忙を極める日々を過ごした中上健次。1991年2月から10月まで朝日新聞で連載した「軽蔑」を翌1992年に文庫本として出版したのが、彼とって最後の長編小説になりました。2011年6月に高良健吾、鈴木杏のダブル主演で映画化された同作は、「路地」をテーマにしてきたこれまでの作風とは違ったものにしたいという思いで書かれた作品です。中上健次は、和歌山県新宮市の出身です。母には彼の実父と結婚する前に死別した夫がおり、前夫との間4人の異父兄妹がいます。そして、父が他の女性を妊娠させたことを理由に、母は離婚を決意。一人で中上健次を生み、行商をしながら子供たちを育てました。中上健次の次女は、陶芸家の中上菜穂(なかがみなほ)です。19歳で陶芸を始め、1998年に全国公募展「ビアマグランカイ2」で大賞を受賞。2004年に「秘密の小道具 陶芸コト始め」という著書を出版しています。若くしてこの世を去った中上健次ですが、その血はしっかり受け継がれているようです。《斜め上からこんにちは》は芸能人や有名人の方々への応援メッセージをお伝えしているブログです。中上健次は1973年以降に発表した「十九の地図」「鳩どもの家」「浄徳寺ツアー」の3作品が立て続けに芥川賞の候補に挙がっています。どの作品も担当編集者など周囲から最有力候補と言われていたにも関わらず3作とも受賞を逃し、4度目でようやく手にした栄誉によって、中上健次は人気作家として脚光を浴びるようになりました。中上健次が亡くなった後にはエッセイ集や発言集などが刊行され、2016年には、小学館が全21巻の中上健次全集を電子書籍で刊行しています。読んで楽しくなるような小説ではありませんが、生きるということ、人生について考える礎となる作品を、中上健次は数多く残しています。気になる方は、手にとってみてはいかがでしょうか。少し斜め上からのコメントや感想をお楽しみいただければ幸いです。中上健次が小学6年生の時、慕っていた12歳年上の異父兄が自殺。この出来事は彼にとって戦慄的な記憶となり、「岬」「一番はじめの出来事」などいくつもの小説に綴っています。中学生になると、母は中上健一だけを連れて再婚。そんな母をモデルにして書いた小説が1980年に発表した「鳳仙花」です。複雑な家庭環境で育った中上健次ですが、そういう境遇だからこそ題材が豊富にあるということを自負していたそうです。中上健次は1976年、生まれ育った紀伊半島を舞台にした小説「岬」で第74回芥川賞を受賞。戦後生まれ初の受賞者ということでも注目されました。中上健次の妻は、作家の紀和鏡(きわきょう)です。2人は同人雑誌「文藝首都」で知り合い、1970年に結婚しました。1985年に「Aの霊異記」で作家デビューした紀和鏡。ペンネームは中上健次が命名し、「鬼神伝説」など伝奇小説を数多く発表しています。