ヒースクリフは愛と金を一緒に考えた。「愛してるなら、金がなくても一生、共に生きられるさ」 さあ、あなたなら、どうする? 答えようによっては、愛憎と復讐の悲劇が・・・。 【サイト内関連ブログ】 『嵐が丘』 ― 小説と映画 ヒースクリフは財産全て奪いましたが、本当に欲しい物はキャサリンの愛だったのかな?と思って読みました。嵐が丘 - Wikipediaに詳しく、あらすじが掲載されてますよ。 キャサリンは変わり、ヒースクリフは孤独を感じていく。そしてキャサリンはある決断をし、ヒースクリフは嵐が丘を飛び出し姿を消したのだった——。 嵐が丘、スラッシュクロスと二つの館で起きる「愛と復讐の物語」が幕を開ける。 嵐が丘の元の主人は、身寄りのない子供であるヒースクリフを拾い、自分の子供のように可愛がり育てました。しかし、その主人が亡くなり息子のヒンドリーが主になると、ヒースクリフを下働きにしてしまうのです。そんな目に合ってしまったヒースクリフの心の支えは、ヒンドリーの妹であるキャサリンの存在。彼らはお互いに、恋心を持つようになっていたのです。本作は登場人物がとても多く、嘘や聞き語りなどが絡んでいるため、当時からわかりにくい内容ともいわれていました。それでも多くの国で翻訳される名作です。日本でも数々の翻訳がされており、今までに新潮社などから発行されています。物語の冒頭で、ロックウッドが嵐が丘を訪ねた時、屋敷にいたのは3人でした。一見ヒースクリフの復讐は終わったように見えますが、彼の野望は、まだこの時点で続いていたのです。本作の登場人物たちは、それぞれが極端すぎるくらい個性的です。主要な人物たちを見てみましょう。ちなみに主人公ですが、これが実はわかりにくい。語り手や目線が変わっていくので、絶対的な主人公と呼べる存在は、いないといってよいでしょう。 ロックウッドその後、再び嵐が丘へと訪れます。すると、以前とは何やら違う様子。なんと、ヒースクリフが亡くなっていたのでした。都会から離れて田舎町に移り住んできた青年、ロックウッドは、隣人である嵐が丘の屋敷に挨拶に行きます。そこでヒースクリフ、キャシー、ヘアトンという、一見どういう関係かわからない奇妙な3人の住民に会うのです。ロックウッドは女中のネリーから、彼らの不思議な物語を聞くこととなります。無邪気でかわいい彼女の姿が見えるようです。こんなところが、ヒースクリフは好きだったのでしょうか。当時、女性が小説を書くという事に対して批判的な目を向けられる風潮があったため、彼女は男女の判別がつかないペンネームを使います。そのこともあり、彼女が本作の作者であることは、世間には知られていませんでした。彼は復讐を諦めたのか。それとも何かが起こったのか。長い物語の主役格であるはずの彼の死は、意外にもあっさりと描かれています。彼の死後、丘ではある人物が目撃されます。それはいったい誰だったのでしょうか。しかし、彼女は優雅な生活に憧れて、エドガーと結婚してしまいます。打ちひしがれたヒースクリフは失踪。 そして数年後、彼は成功した紳士として帰ってくるのです。悲劇はここから始まります。彼が戻ってきたのは、自分を追いつめて傷つけた人物たちに復讐をするためでした。そこから世代を超えた復讐劇がくり広げられていくのです。その復讐は道徳的にも大きな問題があり、当時の人々の意識では相当の驚きであったことは事実でしょう。純愛物語を思わせるような、ドラマチックな言葉です。しかし同時に、この場面で彼女は、夢が覚めてしまうような現実的な言葉も発しています。 本作が酷評を受けた原因の1つに、ヒースクリフの性格の恐ろしさがあります。復讐にだけ固執する激情そのものも怖いのですが、感情だけで突っ走っているのではなく、計算しつくされた計画の元に実行していく妙な冷静さが特に怖いのです。それは、まさに異常とも呼べるほど。最後には夢ではなく、現実に目を向けた彼女。それが、あんな悲劇を生むことになるとは……。ヒンドリーに下働きとして虐待され、いつか必ず復習してやる、とヒースクリフが言う場面で、キャサリンが彼に言います。彼女は1818年、イギリスのヨークシャーに牧師の娘として生まれます。その後家族でハワースに移住。姉のシャーロットはエミリーよりも先に、小説『ジェーン・エア』を発表し評価を受けましたが、後に出版された『嵐が丘』は世間から受け入れられず、酷評を受けました。本作の舞台はイギリスの北部、ヨークシャー近郊にある、ハワースという村。ここの荒野にあるトップウィゼンズという廃墟が物語のモデルとなっています。しかし、出版の翌年にわずか30歳で病没。シャーロットが本作の作者が妹であると公表して作品の評価が上がり始めたのは、エミリーが亡くなってからのことでした。人気がある名言は、お金持ちのエドガーと一緒になることを決意したキャサリンの言葉。ネリーの前で、自分の気持ちを打ち明けます。2世代にわたる登場人物たちの長い物語なのですが、簡単にストーリーを追っていきましょう。しかし、復讐すべき相手の筆頭にあげてもいいキャサリンには、何もしていないのです。間接的に苦しめてはいますが、彼女に直接手をくだしているわけではありません。それは、彼女への愛情ゆえでしょうか。それを考えると、彼の愛憎はますます複雑で怪奇なものと思えてしまいます。文字で読むのに挫折しそうな人は、映画やドラマで見るのもいいかと思います。映画は何本もありますが、ドラマは2009年トム・ハーディ主演のものがおすすめ。また、堀北真希が2015年の舞台でキャサリンを好演し、高い評価を得ました。しかし原作を読んだ人のなかには、文章力や構成力が魅力という意見もあるので、まずは漫画で内容を把握してから原作も読むのがおすすめ。本作の内容や魅力が、より理解できるでしょう。
キャサリンは変わり、ヒースクリフは孤独を感じていく。そしてキャサリンはある決断をし、ヒースクリフは嵐が丘を飛び出し姿を消したのだった——。 嵐が丘、スラッシュクロスと二つの館で起きる「愛と復讐の物語」が幕を開ける。 『嵐が丘』は復讐の物語でもありますが、最後まで愛を貫き通した恋愛ストーリーでもあります。国も時代も乗り越えて人々を魅了し続ける、ヒースクリフとキャサリンを中心とした物語。ぜひ、じっくりと堪能してみてはいかがでしょうか。 愛ゆえの復讐。中学生、高校生の頃からずっとキャサリンとヒースクリフの激しさが好きだった。むき出しで粗野で荒々しく野生的な恋。激しいものがいいと思っていた。静かな穏やかな恋愛を知らなかったあの頃。ジェットコースターのような恋が、恋愛だと思っていたあの頃。 そして後半はキャシーやヒースクリフの子どもの世代が中心人物として登場します。壮大なスケールで、長い時間をかけて展開する愛と憎悪の物語なのです。 『嵐が丘』はセクシーな小説か? 『嵐が丘』は1939年にアメリカで映画作品が製作されています。原作より先に映画を観た人は、ヒースクリフとキャサリンのラブロマンスの部分により強い印象を受け、本作がラブストーリーであるかのように思ってしまうでしょう。 『嵐が丘』に観る愛の普遍的概念 山 田 隆 敏* Some generalities of Love in Wuthering Heights Takatoshi Yamada Ⅰ.はじめに この作品はヒースクリフと幼馴染キャサリンとの「愛の物語」であることはいうま … ヒースクリフの許可を得て、その晩は嵐が丘に泊まることとなった。 その後、キャサリンに案内され、とある部屋へとたどり着いたロックウッド。 彼はベッド脇に並んだ本のなかに1冊の日記があることに … エミリー・ブロンテ「嵐が丘」のあらすじ2回目です。家を飛び出たヒースクリフが再びキャサリンとエドガーのもとに現れます。彼らに復讐するために。しかし怒りの矛先は、大人だけではなく、彼ら子供たちにも及ぼうとしているのでした。 エミリーを含めた六人の姉弟は、荒野の大自然を前に空想遊びや詩を描いて過ごすほかにありませんでした。なぜそう訳したかは、本作の登場人物が織りなす物語の内容に由来すると考えられます。非常に激しい性格であるキャサリンとヒースクリフを中心に繰り広げられる物語で表現されているのは、「人間の愛情や憎悪」。その憎しみは暴力という手段で描かれるほどであり、物語は〝嵐が丘〟の中にあるともいえましょう。彼女は本作の執筆から一年後に早逝してしまっており、作品について取材の記録もないことから執筆の背景などは明らかになっていません。が、あまりに荒々しい本作の内容は、現代でよく知られるエミリーの生涯とはかけ離れています。本作が注目され、評価され始めたのはエミリーの没後二年ほど経ってからだといいます。牧師の家に生まれ熱心に信仰を有していたエミリーでしたが、その反響を知ることなく亡くなってしまったのはなんとも皮肉な話といえましょう。しかし、20世紀に入って小説や女性に対する認識が変化してくると、本作は「不思議だが興味深いストーリーを有する作品」として注目されました。年を重ねるごとに評価は高まり、現代では世界中で翻訳され、愛読されています。エミリーは詩や小説の執筆に人生を捧げて生涯独身でした。しかし、最期はパトリックの葬儀に参列した際にもらった風邪をこじらせ、肺炎を起こした為に30歳の若さで命を落としたのです。そのため、逞しい想像力によって構築された傑作であると称されました。本記事では、そんな「世界三大悲劇」の一角にも数えられるこの作品を、様々な視点から解説していきます。つまり、本作はエミリーにとって「世界の全て」だったハワーズで生まれた、彼女の人生における集大成のような作品であったといえましょう。また、「小説家」という職業そのものも女性の仕事としては認められず、エミリーは「エリス・ベル」という男性風のペンネームを使用して本作を出版したほど。また、2015年の舞台では堀北真希さんがキャサリンを好演し、ずいぶんと話題になったものです。ちなみに、この舞台でヒースクリフ役を演じたのは、後にご結婚された山本耕史さん。彼は本作のタイトルを訳す際、エミリーの言語センスと作品の内容を重視しました。しかし、このような世間と隔絶した環境は、かえってエミリーの文学に対する情熱を高めていくことになります。女性に対して特に保守的な道徳観を有していた当時、小説は「人生の手引書」のような役割を果たしていました。一般的な作品には良家の子女が読み、手本となるような女性像が多く描かれていたわけですから、それとはかけ離れていた本作は受け入れられなくて当然だったという事情があります。先にも触れましたが、本作を読むにあたっては知っておくとより楽しめる知識というものがいくつかあります。世界には時として「親子や兄弟姉妹」のそれぞれが偉大な作家という例があります。もちろん日本も例外ではなく、現代でも「イギリス文学の古典作品」として必ず名前が挙がる一作となりました。エミリーの生涯が「陰気な田舎の町に閉じ込められた苦しいもの」であったことはすでに触れました。嵐が丘、スラッシュクロスと二つの館で起きる「愛と復讐の物語」が幕を開ける。また、その頃父が病を患っていたことに加え、兄・パトリックは画家の夢破れて酒場狂いをしており彼女は彼らの世話に奔走します。現代では「ブロンテ姉妹ゆかりの地」としてイギリスの観光名所になっており、世界中のファンが訪れて賑わっています。彼女は20歳の頃に音楽学校で、24歳の頃にベルギーの寄宿学校での教師経験がありますが、どちらも半年程で帰国。酷評された時代を経て、現在ではこのように世界中で愛される小説として名を馳せています。が、170年以上の時が経過してもなお、「嵐が丘」として描かれた美しい大地、自然は不変。その証拠として、エミリーが作中でハワーズを表現している一節をご紹介しましょう。彼女の作品も、生き方も、当時の人々にとっては刺激が強すぎたのでしょう。この土地は美しい!イングランドじゅうを探してみても、ここまで完全に騒がしい世間から隔絶されている場所は見つかるまい。まさに人間嫌いの天国だ作品の内容をよく押さえたこの訳は、現代でも歴史的名訳と評されています。キャサリンは変わり、ヒースクリフは孤独を感じていく。そしてキャサリンはある決断をし、ヒースクリフは嵐が丘を飛び出し姿を消したのだった——。