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ペット・サウンズ(mono & stereo) +11966年5月16日発売。良くも悪くもビーチボーイズを代表しビーチボーイズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のような位置付けられるアルバム。そのアルバム 誰もが認めるロックの金字塔"サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド"が50周年エディションとしてとして全曲リミックスされリリース。全人類が初めて体験するビートルズの「最新作 … 1967年はドアーズ、クリーム、ベルベット・アンダーグラウンド、ジミ・ヘンドリックス、ジェファーソン・エアプレインなど革新的なバンドのリリースが相次いだ。"サージェント・ペパーズ"の発売日6月1日にはデヴィッド・ボウイのファースト・アルバムがひっそりとリリースされている。ロックの新しい時代が始まろうとしていた。気になるのは"ラブリー・リタ"のピアノソロの後ろでメロトロンかシンセのような音が聞こえるような気がするのだがリバーブの残響音なのかもしれない。さらに"ペニー・レイン"の後半ではオリジナルでは気がつかなかった重低音が聞こえるのだがこれコントラ・バスなのであろうか。逆回転音("ストロベリー~")、テープを切り刻んだ後にランダムに繋ぎ合わせて音のコラージュを作る("ベネフィット~")、ギターやヴォーカルをレズリースピーカー(本来はオルガンに使用)を通して録音("ルーシー~"他)、ダブル・トラック、テープの速度を変えて録音などなど挙げたらきりがないほどでだ。ビートルズといえども最先端の録音機材ではなかった。アメリカでは8トラックレコーダーが既に導入されていたがイギリスではまだまだ4トラックが主流だった。リダクション・ミキシング(ピンポン録音)はもとより、ピッチやタイミングがずれるリスクを覚悟で2台をシンクロさせるなどトリッキーな方法で録音していた。度重なるダビングはどうしても音が劣化が発生してしまうがそれも計算して録音する楽器の順番を考えた。レコーディング・テクニックという範疇を超えて涙ぐましささえ感じる。誰もがこのバージョンが採用されるものと思っていたがジョンは違っていた。なんと前のバージョンと後のバージョンを繋げてくれとマーティンに要望するのだ。さすがのマーティンもこれには困った。エンジニアのジェフ・エメリックと共にスタジオに篭り試行錯誤する。しかし音楽の神様は微笑んだ。それぞれのテープのスピードを調整しぴたりと合うポイントが見つかった。どこか牧歌的でファンタジックでサイケデリックなこの曲はビートルズの代表曲の一つとなった。あの無謀な編集がなければこの名曲は生まれなかっただろう。このエピソードと曲の音楽性は"サージェント・ペパーズ"全体を象徴している。これらの実験的なレコーデングは前作"リボルバー"から行っていたが、本格的にレコーディング・バンドへと移行した"サージェント・ペパーズ"ではさらにブラッシュアップして完成度を高めている。実験的・前衛的な要素を持ちながらあくまでもポップであることが音楽的に成功した要因であろう。まずジョンの弾き語りだった曲をバンドアレンジ。おなじみの美しいイントロはポールがメロトロンで弾いている。様々なオーバーダブを行いOKバージョンが完成した。以降の全ての楽曲で一箇所で鳴っていた楽器は分離され、リードボーカルはセンターへ、コーラスは水平に広げられ、さらに音質・音響が向上された。今考えられる理想のミックスだ。誰もが認めるロックの金字塔"サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド"が50周年エディションとしてとして全曲リミックスされリリース。全人類が初めて体験するビートルズの「最新作」!通常のポップミュージックのレコーディングの何倍もの時間と情熱をかけて作られた"サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド"。そこにはラブソングを歌うポップなマージー・ビート・バンドの姿はなく良質な音楽をクリエイトするプロジェクトへと変貌した4人がいた。ポールとジョージは24歳、ジョンとリンゴは26歳だった。"サージェント・ペパーズ"のセッションは1966年11月"ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー"から始まった。しかし、録音技術・機材の限界に挑戦し誰もやっていない作曲・アレンジを遂行し音楽史上に残る重要な作品ができたのはビートルズの4人とジョージ・マーティン、ジェフ・エメリックらがあの時代にあの場所にいたからなのだ。現代では2度と作れない。二人の少年時代の思い出の地名がタイトルになった2曲はアルバムへの収録は見送られ両A面のシングルとして1967年2月にリリースされた。ライブを意識しなくてよいためアレンジが多種多様なのもこのアルバムの特徴になっている。 ピアノ、オルガン、ハープシコードなど鍵盤楽器が多用されている。最新の楽器であったメロトロンも使用している。1966年ビーチ・ボーイズ(というかブライアン・ウィルソン)が発表した"ペット・サウンズ"に衝撃を受けたと後のインタビューでジョージ・マーティンとポールは発言している。ブライアンが時間をかけ自分の思い描いている理想のポップ・ミュージックをスタジオ・ミュージシャンと共に作り上げた作品はポップス/ロックの領域を拡大した名盤として現在でも高い評価を得ている。そのブライアンはビートルズの"ラバー・ソウル"を聞いて制作を決意したのだ。大西洋を挟んだ2組の天才が競い高めあっていたのである。この手法は後の音楽の模範になったのではないだろうか。このアルバムの成功がなければピンク・フロイドの"ダークサイド・オブ・ザ・ムーン"、カーペンターズの"ナウ&ゼン"などの名作は生まれなかったかもしれない。"ホエン・アイム・シックスティ・フォー"を挟んで録音されたポール作の"ペニーレイン"はジョンの作品とは真逆の明るくクリーンな印象の楽曲となったが、こちらも多彩なアレンジが施されている。カウンターカルチャーは先進的なバンドを多く生み出した。ピンク・フロイド、ソフト・マシーン、マザーズなど前衛的なバンドが登場しアンダー・グラウンド・シーンを賑わせていた。ジョンとポールはこれらのバンドに非常に関心があり実際にライブに行っていたようだ。"サージェント・ペパーズ"の隣のスタジオではピンク・フロイドのファースト・アルバムがレコーディングされていた。プロデューサーはかつてビートルズのエンジニアだったノーマン・スミスである。エメリックは前作"リボルバー"からビートルズのチーフ・エンジニアになった。それまでのエンジニア、ノーマン・スミスの下でビートルズのデビュー当時からアシスタントをしていたがスミスが多忙になったため、マーティンの推薦で19歳という若さでチーフ・エンジニアに就いたのだった。60年代に世界同時多発的に起きたカウンターカルチャーも彼らに大きく影響している。古い価値観を否定し新しい価値観が若者を中心に広がり、音楽・ファッション・ライフスタイルなどに変革をもたらした。リンゴのドラムは低く重めにチューニングされサウンドに重厚感をもたらした。“ア・デイ・イン・ザ・ライフ"で特に際立っている。このドラムのチューニングは後期ビートルズのサウンドの特徴のひとつになる。収録曲のうち4曲は1999年の"イエロー・サブマリン・ソングトラック"でリミックスが披露されている。ビートルズの作品が初めてリミックスされた作品だ。リミキサーはアビイ・ロード・スタジオのエンジニア、ピーター・コビン。こちらも定位や音質が向上されているが、リミキサーの解釈や機材などの違いによると思うが今回とは異なるミックスだ。聞き比べてみるのも面白いかもしれない。テンポ、キーを上げ、シンバルの逆回転音、ジョージが弾くインドのハープなどを追加。リンゴのドラムは2回録りツィンドラムにした。さらにマーティンのスコアによるトランペット、チェロを付け加えた。かなり複雑なアレンジになった。こちらもOKバージョンが完成。リリース50周年を記念して全曲リミックスされた記念エディションが制作され、2017年5月26日に世界同時発売された。手掛けたのはオリジナル盤のプロデューサー、ジョージ・マーティンの息子ジャイルス・マーティンとサム・オケル。二人は2015年"ビートルズ1"のリミックスでも素晴らしい仕事ぶりを発揮している。しかし、数日後ジョンから違うアレンジも試したいと提案があり、4人は再びレコーディングに取り掛かる。マスターテープから現代の技術で各パートを分離し音質を調整し再びミックスする。1967年の機材では不自然な定位や音像、音質にせざるを得なかったが、それらを解消し埋もれていたポテンシャルを引き出し21世紀のビートルズサウンドを作り出した。父の残した名作に新たなエネルギーを吹き込んだのだ。“ア・デイ・イン・ザ・ライフ"ではジョンとポールの曲を繋ぎ、狂気のオーケストラは幾つかのテイクを全てを重ね、エンディングも4人で弾いたピアノを3回重ねた。"グッド・モーニング・グッドモーニング"では拍子が複合的に使われている。ジョンの曲にはこの傾向の曲が多い。動物の鳴き声の順番もジョンの指定だ。"ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー"ではジョージが本格的なインド楽器を取り入れている。そこに西洋楽器のヴァイオリンとチェロを加える事によって唯一無二なサウンドに仕上がった。現代の技術であればレコーディングトラックは(理論上)無限に使えるだろう。音質の劣化もない。高性能なシンセやエフェクターもある。あの凝ったジャケットも画像編集ソフトで簡単に作れてしまうかもしれない。まず、1966年8月にコンサート活動を終了し、思う存分スタジオ・ワークに専念することができるようになった。スタジオ・ワークへの傾倒は"リボルバー"の時からあったがその時点ではまだツアーのスケジュールが残っていた。すでに"リボルバー"の楽曲はライブ演奏を前提としていなかった。ただし、時間を気にせずスタジオを使えたり、新しい楽器を試すことができたのはビートルズだからだろう。ビートルスの8枚目のアルバム"サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・バンド"は1967年6月1日リリースされた。発売されるや世界中で絶賛され長期に渡りチャートの上位にランクイン。画期的な音楽性で世界中を驚愕させ、その後の音楽に多大な影響を与え続けてきた。半世紀に渡りロック/ポップスの金字塔と言われている。オープニングの観客のざわめきもリミックスがされていて早くも気分が高まる。ジョージのギターは左にポールのリードボーカルはセンターに配置され3人のコーラスは見事に左右に広がっている。ポールのギターはオリジナルと同じ右だがものすごくダイナミックに響く。こんなにへヴィなロックだったのか。初のコンセプト・アルバムと言われているが、直接関係しているのは冒頭の2曲とリプライズだけである。しかし、テーマとリプライズで挟むことによって全体にテーマ性、統一感が出ている。“ア・デイ・イン・ザ・ライフ"はリプライズの後にするという曲順もよく考えられている。"サージェント・ペパーズ"はその後の音楽・文化に大きな影響を及ぼしたが、どのような状況で制作されたのだろうか。こうした音響的なエフェクトを実現したのはエンジニアを務めたジェフ・エメリックである。エメリックは4人からの無茶振りとも言える要求を斬新なアイデアで実現していった。時にはEMIの規定を破り独自の方法で録音することもありマーティンをひやひやさせた。ロックの歴史を変えてしまった"サージェント・ペパーズ"の直接的/間接的影響を受けていないミュージシャン/リスナーは皆無と言っても過言ではない。これからもずっとポップミュージックの指針となるであろう。