1 ... 最近老けの立役やることもあるけど、田之助はやっぱ女形で見たい。 おかみさん系統より、本来娘役のほうが似合う役者さんだと思うんだけどなぁ。 ... 今月の人間国宝に愛の一 … 1932年8月4日生まれ。五代目澤村田之助(初代曙山【しょざん】)の長男。41年3月歌舞伎座『先代萩』の鶴千代ほかで四代目澤村由次郎を名のり初舞台。64年4月歌舞伎座『矢口渡』のお舟ほかで六代目澤村田之助を襲名。 澤村 田之助(さわむら たのすけ、新字体:沢村)は、歌舞伎役者の名跡。 屋号は紀伊國屋。 定紋は釻菊(かんぎく)、替紋は波に千鳥(なみに ちどり)。. 人間国宝に坂東玉三郎さんら4人、文科相に答申 (読売新聞 - 07月20日 17:31) ... (六世)澤村田之助(1932年~)2002年認定、存命 とあり、澤村田之助丈は立女形で無く脇役、尾上多賀之丞丈は小芝居 … 人間国宝の特典がすごい! なんと年間で200万もらえるらしいです。 人間国宝ってその名の通り、国の宝ですからね。 人間国宝はなれる人数が決まってるらしい・・ そうなんです。116名って決まってます。 田之助といえば、3代目田之助が有名です。杉本苑子「女形の歯」で、若くして脱疽で手足を切断しながらなお舞台に立った人気役者の壮絶な生涯を読んでいたのですが、著者の当代田之助さんは、この三代目の兄助高屋高助(助高屋って初めて知りました)の養子である名優七代目宗十郎の孫にあたります。ところが、会社の重役さんが、いきなり梅幸さんに襲名の話を伝えてしまい、それまで田之助さんをかわいがり、襲名のことも心づもりしていた梅幸さんを失望させてしまい、襲名披露狂言にも出てもらえなくなってしまいます。このとき、富十郎さんが坂東鶴之助から市村竹之丞を襲名するのですが、口上では十七代目羽左衛門さんに、「本来ならこの名を継ぐべき人ではない」と言われてしまいます。知らなかった!海外公演のことなど、まだ興味深い話もありますが、巻末には、田之助さん自身が書いた、「『神霊矢口渡』の紀伊国屋の型」と題した、演出ノートが載っています。最近の上演は、皆田之助さんが教えたものだそうで、四代目も「亀治郎の会」の上演は田之助さんの教えによるものでした。見ていない演目なのでなかなか読み切れない細かいものですが、紀伊国屋の芸の継承という点で貴重なものです。今、紀伊国屋というと、宗之助、國矢が活躍していますが、これから紀伊国屋の芸や大きな名前はどうなるんでしょう。松竹はさらに盛り上げようと、当時の由次郎という名から襲名を勧め、古い文献からさがした「重井筒藤十郎」という名前としようとしますが、十一代目團十郎さんが、田之助を襲名しろ、といいます。この名は病床にあった父の名でしたが、團十郎さんはもう舞台には立てないだろうから、父には俳名の曙山を名乗ってもらえばよいというのです(團十郎という立場がよくわかる話ですね)。そして名優と謳われた祖父七代目宗十郎の役者ぶりの大きさと、美男だが役者としては大成しなかった五代目田之助についての容赦のない描写。祖父が舞台で倒れたとき、父が勘平の代役を断わらなければ、宗十郎を襲名したろうにと書いています(八代目宗十郎は叔父が継ぎ、その息子が九代目宗十郎)。田之助さんは、御曹司として、幼い頃から錦之助や大川橋蔵、九代目三津五郎と子役に出たり、七代目幸四郎の碇知盛が落ちてくるのを受け止める手伝いをしたり、とんぼの練習をしたり、相撲好きが縁で六代目菊五郎にかわいがられたりして歌舞伎にどっぷりつかって育ちます。いろいろな舞台で、丁寧に役を教えてくれる六代目歌右衛門さんの姿も印象的ですし、今の菊五郎さんがとてもいたずら好きだったことなども興味深く書かれています。初代猿翁さんは当時役者としては珍しく中学を出た人で、「本を読め」といって、子役のごほうびに「風の又三郎」などのハードカバーの本をくれたんだそうです。七代目幸四郎さんに立派な釣り道具をもらい、それを持って十一代目團十郎さんに子役友達と釣りにつれていってもらったなんて話もありました。結局、田之助さんは暫く菊五郎劇団とは距離を置かざるをえなくなりますが、経済人の仲介で、十数年後に和解し、当代菊五郎さんの相手役として活躍することになりました。田之助さんのつづる梅幸さんへの思慕には、胸を打たれます。昔のことをよく覚えている田之助さん、十五代目羽左衛門や、多賀之丞、初代猿翁、十一代目團十郎等の名優たちを生き生きと活写していきます。六代目亡き後の菊五郎劇団には、團十郎も参加していて、古典のほかに舟橋聖一や大佛次郎の新作を精力的にかけていてたいへんだったこと。山田五十鈴など、女優さんも出ていたそうです。この本は、2001年から7年間雑誌「演劇界」に連載された聞き書きで、その連載を上村以和於、神山彰、児玉竜一の錚々たるお三方が編集して2011年に出版されたというもの。そうした形式のためか、田之助さんのお人柄や、歌舞伎界の様子がよく出た、たいへんに面白い読み物になっています。戦争中伊東に疎開し、そのまま10年近く舞台には出ず学校生活を送ります。しかし21歳の時、歌舞伎に戻り、梅幸さんのもとで、一から修業し、頭角を現します。とはいえ、ブランクを埋めるのは容易ではなく、また役付きのことを嘆く部分もあったりして、役者さんはこういう気持ちでいるのかと、やはり人間だものなあと思います。田之助さんは人気が出てきて、東横ホールなどで、富十郎、三代目猿之助、九代目宗十郎と若手歌舞伎をやり「四人組」と言われたそうです。当時20代から30代に入ったばかりのこの4人、その後の活躍をみれば、その舞台の人気が出るのも当たり前ですね。 歌舞伎界の人間国宝!いま存命で認定されている役者は? 歌舞伎の人間国宝に認定されている方は、 次の方々です。 男役である立役としては、 上方歌舞伎の芸を受け継ぐ 四代目坂田藤十郎。. !ウレピイ 15 :重要無名文化財:02/06/25 02:16 田之助さんの千代いいですねぇ。 あと、5さんと一緒ですが政岡とかも見てみたいですね。無理っぽいけど。 16 :重要無名文化財:02/06/25 09:30 田のさんで見たい役・5傑 松竹が運営する歌舞伎公式サイト。歌舞伎の公演情報、ニュース、俳優インタビューなどをお届けします。こちらのページは、ニュース「秀太郎が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語る」 を配信しています。 人間国宝は、重要無形文化財保持者として各個認定された人物を指す通称である。日本の文化財保護法第2条第1項第2号は「演劇、音楽、工芸技術その他の無形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの(以下「無形文化財」という。 。)」と規定し ▼1932年8月4日生まれ。五代目澤村田之助(初代曙山【しょざん】)の長男。41年3月歌舞伎座『先代萩』の鶴千代ほかで四代目澤村由次郎を名のり初舞台。64年4月歌舞伎座『矢口渡』のお舟ほかで六代目澤村田之助を襲名。▼著書『澤村田之助むかし語り~回想の昭和歌舞伎~』(2011年、雄山閣)昭和20年(1945)から現代までに、国内の主要劇場で行われた歌舞伎等の「本公演」の上演データが収録したサイトです。歌舞伎の公演情報、ニュース、メディア情報を紹介するサイトです。▼1954年4月演劇界賞。62年大阪市民芸術祭賞。65年重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となる。65年度第十一回テアトロン賞。78年十三夜会賞奨励賞。同年7月『義経千本桜』すし屋の弥助実は平維盛で、同年9月『梅の由兵衛』の女房小梅で、87年3月『四千両小判梅葉』の女房おさよで、88年3月『女清玄』の綱女で国立劇場優秀賞。87年6月、89年5月、91年1月松竹社長賞。89年名古屋演劇ペンクラブ年間賞。93年4月松竹会長賞。96年度芸術選奨文部大臣賞。97年紫綬褒章。99年10月国立劇場特別賞。2000年第二十一回松尾芸能賞特別賞。2000年度日本芸術院賞。02年重要無形文化財保持者(人間国宝)。13年旭日小綬章。
六代目 澤村田之助(ろくだいめ さわむら たのすけ、新字体:沢村、1932年(昭和7年)8月4日 - )は歌舞伎役者。 屋号は紀伊國屋、定紋は釻菊、替紋は波に千鳥。 舞踊の名取名は藤間 勘之(ふじま かんじ)。本名は山中 宗雄(やまなか むねお)。重要無形文化財保持者(人間国宝 「さすが人間国宝の芝居!」という劇評が出るように、歌舞伎役者には多くの人間国宝がいます。どんな俳優が人間国宝に認定されているのでしょうか。ご紹介しましょう。 歌舞伎界の人間国宝!いま存命で認定されている役者は?歌舞伎の人間国宝に認定されてい 現在、重要無形文化財の芸能分野においては、以下の14団体の構成員が総合的に認定されている。総合認定の場合、「保持者」は、当該団体の部員、会員、座員などの構成員である。工芸技術分野において、工芸技術の性格上個人的特色が薄く、かつ、当該工芸技術を保持する者が多数いる場合において、これらの者が主たる構成員となっている団体として認定されているもの、すなわち、保持団体認定は、以下の14件・14団体である。これらの団体には、多くの場合その母体となる全演奏家協会があり、その中で技量の熟達が認められた者について、上記の各団体への加入が認められ(通常は会員の推挙または互選)、各団体への正式加入に伴い、「重要無形文化財の保持者の団体の構成員」として追加認定される。各団体ごとに選出母体となる団体があり、数年に一回程度追加認定(実質上の人数追加)がある。2016年(平成28年)9月までに認定された工芸技術部門の重要無形文化財保持者(各個認定)は以下のとおりで、死亡により認定解除された者を含め、のべ175名(実人数は172名)が認定されている。2019年10月までに認定された芸能分野の重要無形文化財保持者(各個認定)は以下のとおり(分野別。認定年月日順)。上記のうち、「各個認定」と「総合認定」はともに「保持者の認定」であるが、前者は特定個人の認定、後者は「○○保存会」等の「保持者の団体の構成員」を総合的に認定するものである。「保持団体認定」は1975年の文化財保護法改正以降行われるようになったもので、社団法人等の団体自体を認定対象とする。以上のうち「人間国宝」と呼ばれるのは、一般的には各個認定の場合のみであり、総合認定における団体の構成員、及び保持団体認定における当該団体およびその構成員については、人間国宝とは呼ばないのが通例である。