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平将門が殺されてからちょうど1000年後の節目に起きた事件に、「平将門の呪いは終わっていない」と噂されました。 大蔵省は 鎮魂祭 を催し、平将門の霊を鎮めることまでしたのです。 平 将門(たいら の まさかど、-將門)は、平安時代中期の関東の豪族。 平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。第50代桓武天皇の5世子孫[注釈 3]。 平将門(たいらのまさかど)は、平安時代中期の武将で、平良将の子ですが、生年は不詳も、903年頃に生まれた模様です。出自は桓武平氏・高望王流と、桓武天皇を先祖に持つ系統になりますが、宇多天皇の勅命にて平姓を賜与され臣籍降下した氏族です。 海音寺潮五郎らしい精緻な時代描写と、生き生きとした登場人物の個性が素晴らしい作品。なかでも青年のころに共に京都まで旅した貞盛の裏切りと、その後のライバル関係には目が離せません。平将門研究で有名な国文学者である著者が、現地を探訪して調査した記録であり、またガイドブックとしての価値もある一冊です。地図や写真が多く使用された解説は、将門に対する知的好奇心を存分に満たせる作りとなっています。関東で起きた「平将門の乱」と時を同じくして、瀬戸内海近辺では藤原純友が乱を起こしています。純友はもともと海賊で、瀬戸内海を根城に略奪をくり返していました。勢力を強めて備前、淡路、讃岐そしてついには太宰府と、中国、四国、九州地方にまで影響力を及ぼしていた人物です。その後彼は名実ともに惣領となりましたが、持ち前の正義感のせいで、賄賂を求めてばかりの役人と多々揉めごとを起こし、徐々に朝廷から目を付けられる存在になっていきます。そして常盤国の役人を追い払った際に国の印綬(地方を治めることを朝廷から許された証の印)を奪ってしまい、反逆者となります。この2つの乱をあわせて「承平天慶の乱」と言われ、発生のタイミングが近かった点と、若いころに2人とも京の都で遊学していたことから、将門と藤原純友は旧知の仲であり、お互い呼応して乱を起こしたのではないかと言われています。しかし民衆は、賄賂のことしか頭にない役人を追い払ってくれる将門を歓迎し、彼らに求められるままに関東一体を平定、ついに自らを「新皇」と名乗るのです。これが世に言う「平将門の乱」。怨霊というイメージからは程遠い、民衆から絶大な人気のあるまさに関東の英雄でした。平将門にゆかりのある7つの神社、鳥越神社、兜神社、将門首塚、神田明神、筑土八幡神社、水稲荷神社、鎧神社を線で結ぶと北斗七星の形になるのですが、これにはとある理由があります。まだ日本に武士という概念があまりなかった西暦800年代、京の都にある朝廷を頂点とする貴族が絶大な権力を持っていて、地方では各地で力をつけた豪族が小競り合いをくり返していました。そんな時代に、桓武天皇の血を引く由緒正しい地方豪族の跡継ぎとして、後に平将門となる相馬小次郎が生まれます。「神田明神は江戸っ子の氏神として信仰を集め、氏子は今でも将門調伏をになった成田山新勝寺には参詣してはいけないとされる。将門伝説は今でも人々の心の中に生き続けているのである。」(『怨霊とは何か - 菅原道真・平将門・崇徳院』より引用)それから12年後、元服した将門は遊学を終えて帰郷しますが、これを聞きつけた平国香はすでに邪魔者でしかない彼を亡き者にしようと、襲撃を企てるのです。日本三大怨霊として教科書にもおどろおどろしい絵で描かれている平将門。地方豪族の息子として生まれ朝廷と戦い抜いた激動の人生と、彼にまつわる伝説、死後どのように怨霊として語り継がれていったかを知ることができるおすすめ本をご紹介していきます。将門の怨霊といえば小学校でも習うほど有名で、2017年現在も東京の大手町に木に囲まれた将門塚があり、たびたび生花が供えられているのを見ることができます。関東一円を怒涛の勢いで平定した将門は、940年1月に「新皇」に即位します。しかしそれとほぼ同時期に朝廷では藤原忠文が征夷大将軍に任じられ、すぐに将門討伐に出征。これを聞きつけた将門は兵を集めますが、冬場であったため諸国から招集した兵はほとんど帰国してしまっており、さらに朝廷直属の討伐軍が相手ということもあり逃げ出す兵士も多く、結局は朝廷軍4000人に対して将門側は1000人ほどで迎え撃つことになります。平安期、京で藤原忠平に仕えていた将門でしたが、官位ばかり気に掛ける都の生活に嫌気がさして、故郷である坂東平野に戻ります。彼は京都にいたころから妙見菩薩を信仰しており、関東を平定した際の神懸かった戦ぶりも妙見菩薩の加護があったからであると噂されていました。 この妙見菩薩こそが、北斗七星を具現化した菩薩なのです。朝廷は関東の平将門と瀬戸内海の藤原純友に挟まれた形となり、同時に兵を割く余力もなかったため、当初は純友のほうは放置して、将門の討伐に注力していました。結果として将門があっさり倒されてしまったため、その後すぐに藤原純友討伐軍が組織され、彼も鎮圧されてしまったのです。民のために必死で領土を治めるも、朝廷からは反逆者として仕立てられていく過程と、その恨みや無念さが伝わってきます。悲劇の英雄譚から目が離せません。ただひたすら搾取されるだけだった民衆に求められて立ち上がった将門は、朝廷の強大な権力の前に屈する形となり、歴史上初めての晒し首にされるのですが、その首は獄門にかけられてもなお恨みの言葉を吐き続けたと言われています。そして怨霊、伝説となって語り継がれるのですが、その強大な恨みは搾取され続けた民衆の恨みそのものなのかもしれません。彼は関東という地の利を生かし、当時はほとんど移動手段でしかなかった馬を戦に用いていました。そして馬上から刀を振るうために、切りつけることを目的とした反りをもった日本刀が生まれたのではないかと言われています。現存する最古の反りを持った刀である「小烏丸」は、ちょうど彼が活躍していた時代に製作されたものです。しかし京都では田舎者として扱われ官位ももらえず、12年の歳月を経て失意のまま帰京しました。そんな彼を待っていたのは叔父たちの謀略と襲撃でした。彼は寡兵ながらも窮地を突破し、その勢いに乗って反撃を開始。腐敗しきった時代に、将門の戦いが始まります。この首塚は過去に何度も撤去されそうになりながらも、関係者に災いがふりかかったため話が立ち消えになっているのです。もとは神田神社の旧地であり大蔵省の敷地の一角でしたが、関東大震災で被災した際に取り壊されました。しかしそこで待っていたのは父親の築いた領土を狙う叔父たちと、賄賂ばかり求める役人でした。民への思いと、朝廷への怒り、そして天慶の乱から悲劇の結末へ突き進んだ彼の生涯を描いた、長編小説です。小次郎が10歳を少し過ぎたころ、一族の惣領だった父、平良将が急死。その領地を我が物にしようとした叔父の平国香らは、跡継ぎである小次郎を厄介払いするように京の都に遊学に出してしまいます。そして将門は撤退に転じるさなかにこめかみに流れ矢を食らい、打ち取られてしまうのです。いくつかの不運が重なったとはいえ、1月に新皇に即位してから2か月も経たないうちに滅ぼされてしまったのでした。当時の貴族の優雅な暮らしと搾取される貧民の苦しみ、貧民街の雑多な空気感、雄大な坂東平野など、時代背景の描写も見事です。1冊で読み終えるボリューム感も手軽で、入門書としてもオススメです。一方の朝廷としては、ここまでくるともう黙ってはいられず、将門討伐軍を差し向けます。これを迎え撃った将門は、寡兵ながらも善戦しますが、不運にも流れ矢にこめかみを貫かれあっさり討ち取られてしまいました。彼が死んだあともこの話は根強く信じられており、後に徳川家康が江戸の街を作った時に、その側近だった天台宗の高僧天海が将門の怨霊が災いをなさないよう、7つの神社を北斗七星の配置にして結界とし、その御霊を鎮めたと言われています。著者、吉川英治が歴史上最も興味を持った人物のひとりである平将門。吉川が描く将門の人間臭さ、純粋さは特筆すべきものがあります。豊田の里に地方豪族、平良将の跡継ぎとして生を受けた将門。父の死後すぐに親族に領地を狙われ、叔父たちの甘言に乗せられて従弟の貞盛と共に京都へ旅に出ます。本書は、初期の軍記物語である『将門記』を現代語に訳し、物語に登場したゆかりの地を写真入りで紹介している解説書です。古代の刀剣は突き刺すことを目的とした幅広の直刀でしたが、反りを持った日本刀の原型を作ったのは平将門だと言われています。しかしそんな小次郎も、次第に権力闘争に巻き込まれていきます。粗野で情に厚く、誰よりも人間くさい彼が必死に戦い、民のために国造りに腐心するのです。これまで反逆者として描かれがちだった将門を、英雄として描いた長編歴史小説。日本三大怨霊に焦点を当て、それぞれの人物の生前の歴史と、どのような死に方をし、どこに葬送され、そしてどのように怨霊として伝説になっていったかが詳しく解説されています。しかし将門はあっさりこれを撃退、その勢いのまま国香の館を奇襲し、火を放って焼き討ちに。さらに、国香に協力した他の親戚らも追い出し、領内を難なく平定しました。本書を片手にゆかりの地を訪ね、歴史のロマンに思いを馳せてみるのもいいのではないでしょうか。また戦後、この付近を整地していた米軍のブルドーザーが地表に出ていた首塚の石碑に接触して横転、下敷きになった人が亡くなるという事故も起こっています。それを知った当時の町内会長は、すぐにGHQに首塚の由来を説明し残すように陳情したことで、現代の首塚に至っています。同年2月1日、ついに開戦し、当初は勢いに勝る将門軍が優勢でしたが、数に押されて徐々に後退を余儀なくされ敗走することに。そして最後の決戦となる2月14日、将門軍は風上に布陣し、追い風を背に弓を射かけて有利に矢戦を展開しますが、途中で風向きが変わり形成は逆転。逆に大量の矢を射かけられてしまいます。西暦916年、平安の民により原始の姿から徐々に人間の住む地として開拓されはじめた坂東平野に、いまだ原始の匂いを残す少年、相馬小次郎(後の平将門)はいました。その後大蔵省の仮庁舎が跡地に建てられた際は、大蔵省幹部や工事関係者に病人、怪我人が相次ぎ、さらには数人の死人が出たため急遽仮庁舎は取り壊され、将門鎮魂祭が執り行われました。虚飾と賄賂にまみれた朝廷に、猛々しい怒りを剝き出しにして挑む彼の迫力が伝わってくる、長編歴史小説の傑作です。