亮介(松坂桃李)は同棲中の婚約者でもある千絵(清野菜名)と、山奥の喫茶店を営みながら順風満帆な生活を送っていました。しかしある日、千絵が謎の失踪を遂げ、更に亮介の父が末期ガンである事が発覚します。喫茶店の経営も傾き、亮介は精神的に不安定な状態に陥ります。そんなある日、亮介は実家の押入れから『ユリゴコロ』と書かれた一冊のノートを見つけます。創作か現実か、そこには殺人者 美紗子(吉高由里子)の半生が綴られていました。ここからは映画「ユリゴコロ」のネタバレを含んでいます。あらすじの結末まで解説していますのでご注意ください。「ユリゴコロ」には「私のように平気で人を殺す人間は脳の仕組みがどこか普通と違うのでしょうか」このような書き出しで始まっていました。普通の人には心の拠り所「ユリゴコロ」というものが誰にでもあるものですが美紗子にはそれがありませんでした。普段から無口で、友達と遊んでも新しいオモチャを貰っても喜びを感じない美紗子はある雨の日、友達を池に突き落として溺死させてしまいます。その時、美紗子は生まれて初めて喜びに近い感情を抱きます。中学に進学した美紗子ある日、帽子を拾おうとしている少年を手伝っている男に加勢する事になりますが、男が持ち上げている溝の蓋を下に押し当て、重さに耐えきれなかった男は蓋を少年の上に落として殺してしまいます。死んだ少年を見て美紗子は再び喜びのようなものを感じます。調理の専門学校に進学した美紗子は初めてみつ子(佐津川愛美)という友達ができます。みつ子は精神を病んでいて、リストカットがやめられません。自分と通じる部分を感じた美紗子ですが、結局はみつ子までも殺してしまいます。このように人を殺す事が心の拠り所となってしまった美紗子は出会う人々を次々と殺していきます。映画「ユリゴコロ」のあらすじと結末をネタバレ解説。動画やキャスト紹介、レビューや感想も掲載。ストーリーのラストまで簡単解説します。『ユリゴコロ』に不思議な親近感を覚えていた亮介はノートをここまで読むと、美紗子の子供が自分であると確信します。一刻も千絵と見つけ出したい亮介は、千絵捜索の協力者、細谷に千絵の居場所が判明したか電話を入れます。すると、とある暴力団のオフィスに監禁されている事が判明します。美紗子の娘であると同時に、殺人者の息子である自覚した洋介は躍起になり暴力団を殺しす為に包丁を持ってオフィスに向かいます。しかし亮介が到着した頃には暴力団員全員が死んでおり、千絵も無事でした。現場には『ユリゴコロ』に度々登場したオナモミの実が落ちていました。喫茶店兼自宅に戻り千絵を介抱している亮介の元へ細谷が現れます。そこで亮介の疑念が確信に変わります。実は細谷は亮介の実の母であり、殺人者美紗子だったのです。美紗子は亮介の為にまた殺人に手を染めたのでした。遂に真の家族として2人は再開してしまったのです。美紗子は病室で寝ている洋介に会いにいき、それ以来二度と現れる事はありませんでした。全てを知ってしまった亮介は自宅のオナモミが生えた庭で物思いにふけるのでした。 私の評価 ★★★★★ 66 /100(60が平均) [レビューサイト評価↑]. 『ユリゴコロ』Twitterの声. また、原作小説における細谷さんには「亮介に好意を抱いている店の女性スタッフ」というミスリードがなされており、そのおかげで「細谷さんが積極的に(千絵探しのことで)亮介に協力する」という展開が自然なものになっていました。美紗子はそれをゆっくりと手に持って、ゆっくりとみつ子の手首に当てがいます。少なくてもキャスト面での不満はなかったので、その点だけはしっかりとお伝えしておきますね!というわけで、今回はそんな映画「ユリゴコロ」のネタバレ感想と考察!まるで自分が手首を切っている、あるいは切られているような感覚が鳥肌を立たせ、思わず身じろぎせずにはいられなくなるような「体感」が手首にもたらされます。個人的には原作最大の鳥肌シーンである「もうすぐ母さんが家に来る」→「店長、お父様をお迎えに上がりました」→「細谷さんが母さんだったのか…」という場面を映画でも見たかったですね。あれだけ内容の濃い「ユリゴコロ(ノート)」の回想を省略せずに全部詰め込んでいたのは、原作ファンとしても嬉しかったですし、その手法の巧みさには感心させられました。この映画は本当にそこらの陳腐な映像作品とはわけが違うので、劇場の大きなスクリーンで観賞することを強くおススメします。今回の松山ケンイチさんや松坂桃李さんの演技には、本当に一見の価値があると思いますよ!原作の魅力やキャストの実力も当然輝いているのですが、それ以上にカメラワークや編集など「裏方(監督)」の力をとても感じる作品でした。それゆえに、美紗子は約束を破ってまで息子(亮介)のために再びその手を血で汚した。むしろ異常者である美紗子にとって「愛する家族」を手に入れられたことは奇跡にも等しい出来事だったはずで、その「愛」は一般のそれとは比べ物にならないほど強く純粋だったのではないでしょうか。人の命を平然と奪ってきた異常者だからといって、その身の内に「愛」がないわけではありません。そんなわけで個人的には、結末部分は映画版よりも原作小説の方が好みでした。どちらも「夫婦の愛」で締めくくられていますが、その性質はちょっと違うように思われます。松山ケンイチさんは洋介という内面的に非常に難しい役どころを繊細かつ情感たっぷりに演じられていましたし、松坂桃李さんは徐々に狂気に取りつかれていく様子を見事に熱演されていました。2人を見送りながら、亮介は「きっと2人はもう帰ってこない」と確信する。あと、子供の頭に重い鉄の塊が落ちて亡くなり、身体だけがビクンビクンしているシーンとかもあります。一方、原作の細谷さんは店のスタッフとして「千絵が失踪する前から」亮介の近くにいました。また、映画でも原作の持ち味である「サスペンスがいつのまにか愛の物語に変わっている」という不思議な体験を味わうことができる点もポイント高し!この設定変更に関してはダムのシーンがより印象的になっていたので個人的には「アリ」だと思います。どんなに食材が良くても料理人(監督)の腕が三流であれば、できあがる料理も三流になってしまいます。もちろん「アナタ」は旅先で亡くなってしまうだろうし、亮介にしてみればやっと会えた母親にもう会えないという悲しさもあります。映画版が涙を誘う感動的なラストだったのに対し、小説のラストはどこか明るく楽しげ。それなのに、美紗子は己の「業」ゆえに夫や子供と別離しなければならなかった。「母としての美紗子の愛」を描くなら、確実に「素性を明かさず、ずっと亮介の近くで店を支え続けていた」という方が感動的でしょう。それなのに映画版の細谷さんはいきなり亮介の目の前に現れて「昔の同僚として私も千絵ちゃんのことが心配だから手伝います」と申し出ます。私はネタバレを知っている状態で映画を観たわけですが、退屈するどころか「すごいな、これ…」と時間を忘れて見入ってしまうばかり。いや「スゴイ」では何も伝わらないのは承知しているのですが、それでも「あの映像はスゴイ!」というより他に適切な言葉も見つかりません。美紗子をダムの底に沈めようとした時、その胸中にはどんな愛憎の嵐が吹き荒れていたのか?実際、私は何度か目をつぶってしまいましたし、このシーンでは周りのお客さんたちも身じろぎしているようでした。上記の「登場人物の減少」は映画時間内に作品をまとめるための改変だったのだと思います。原作ではそのどちらともに感動させられましたが、映画では特に「美紗子と洋介(亮平の父親)との関係」に焦点が当てられていたように思います。それは仕方のないことだと思いますし、結果的に原作をリスペクトした質の高い作品に仕上がっていたので、その点に関しては不満はありません。>>見放題動画は充実の180,000本!<<原作では男性陣は脇役という印象だったのですが、映画では美紗子に負けず劣らない存在感を放っている、という印象に。洋介は美紗子のせいで罪人となり一生苦しむことになったわけですが、運命のいたずらから事情を知らずその美紗子と一緒になり、人並みの幸せを取り戻しました。そして、最後には美紗子の命を助け「二度と現れるな」と言ったとき、彼はどんな心境だったのか?そしてやはりゆっくりと、それでいて深く、肉を裂き血管を切り裂いていく。最期に残された時間を「夫婦水入らずの旅行」に使うだなんて、ハッピーエンドな感じがしますよね。「映像に迫力がある」とは「ダイレクトに生々しく感触や心情が伝わってくる」ことと同義。あえて連想する言葉を並べるなら「美しい」「生々しい」「迫力がある」「臨場感がある」…そんな映像。耳には「グチャ」「ニチャ」という肉の音が響き、画面では鮮血が手首からこぼれて床を赤く染め上げていく…。わずかではありますが、物語の結末も小説と映画では異なっています。原作でそれぞれ重要な役割を担っていた上記のキャラクターが映画版「ユリゴコロ」には登場しません。しかし、その点でいえばこの映画「ユリゴコロ」は食材も料理人も文句なしに一流!映画版の細谷さん(=美紗子)は「職場の同僚だった千絵(失踪中)とたまたま再会した」ことで亮介を訪ねています。特に映画の前半はその傾向が強く「うわあ、生理的に無理!気持ち悪い!エグい!グロい!」と気分が悪くなるほどのシーンが続きます。原作の中でも特に大きな仕掛けの1つが映画版では削られたことになります。思いっきりネタバレになりますが、結論から言えば「細谷さん=美紗子」なわけです。そこに垣間見える「愛ゆえの切なさ」や「愛の強さ」こそが、見る者の心を揺さぶる「感動」の正体なのかもしれませんね。ただ、やっぱり文字で読んで頭の中で物語を想像するのと、実際に映像を見るのとでは全然違いますね!吉高由里子さんと木村多江さんが同一人物を演じているということに関しては「後に整形した」という設定を加えて叙述トリックを上手くクリアしていたのに…なぜ、あんな風に設定を変えてしまったのか…。映画では多少の設定変更が見られたものの、基本的な流れは原作に忠実につくられていました。実際、作中で「細谷さん=美紗子」とバラすタイミングも映画ではずいぶん早かったですし…。ぶっちゃけ、近年の邦画の中でもかなり突出している作品だと感じました。個人的には「面白いから見てみなよ!」と自信を持っておススメできるので、迷っている方はぜひ劇場へ!小説「ユリゴコロ」最大の驚きはラスト数ページになって初めて「細谷さん=美紗子」だとわかるシーンだと思うのですが、これでは原作最大の魅力が台無し。なにせ中心人物である美紗子は生来の異常者であり、作中では次から次へと人の命を奪っていきますから。こういう作品に出会えるから邦画はやめられない…と絶賛したくなるほどの傑作です。だからこそ結末での「実は細谷さんこそが美紗子だった」という展開に驚きがあったんです。なのでグロ耐性がない人は、このシーンは目を閉じて耳をふさいでいた方がいいかも…。もちろん、原作ファンにも「この実写化は当たりだから必見!」と強くおススメしたいですね!予備知識なしで映画を観た人でも「ははーん、この人、なにか裏があるな」と気づくレベルです。例えば美紗子が親友の「みつ子」の手首を切って、その命の火を消すシーン。これは「R-15」みたいなもので「12歳までのお子さんは保護者と一緒に見てね」というサインですね。「いやいや、人の命を奪うシーン程度の刺激、今どき小学生でも大丈夫でしょ」と思いますか?というわけで「細谷さん=美紗子」が露見するタイミングが早すぎたのも不満点の1つでした。また、美紗子の両親には「美紗子をダムに沈めようとするものの、寸前で助け出して解放する」という役割があったのですが、映画版では洋介(亮介の父親)が代わりにその役割を担いました。いよいよ余命少なくなった「アナタ」を車に乗せ、美紗子は2人きりの旅行に旅立つ。
亮介(松坂桃李)は同棲中の婚約者でもある千絵(清野菜名)と、山奥の喫茶店を営みながら順風満帆な生活を送っていました。しかしある日、千絵が謎の失踪を遂げ、更に亮介の父が末期ガンである事が発覚します。喫茶店の経営も傾き、亮介は精神的に不安定な状態に陥ります。そんなある日、亮介は実家の押入れから『ユリゴコロ』と書かれた一冊のノートを見つけます。創作か現実か、そこには殺人者 美紗子(吉高由里子)の半生が綴られていました。
ネタバレ感想『ユリゴコロ』考察や評価レビュー. ユリゴコロ観てきた。やや描写がキツめの部分があるので結構目を背けがちでしたが佐津川愛美さんの役作りが完璧で目を見張りました。今まで観たことない表情してた…松山ケンイチの哀愁漂う猫背感と眼差しにやられました。
この先はネタバレありの感想考察です。他の映画はおすすめ映画ジャンル別も参考にしてください。.