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文章を書くとき。日本語のルールとして、「漢字の使用範囲」はとくに制限されていません。つまり、漢字で書けるものは、すべて漢字で書いてしまっても構わないのです。 ただそれでは、読みやすい文章を書くことはできません。また漢字, 文章を書くとき。 しかし、実際の”そ”の成り立ちは、「曽」の草書体から変化しましたから、曾と曽のどちらが字源と言っても問題はないでしょう。”奴”を筆順に従って、一筆書きのように続けて書くと、”ぬ”に近い形状になります。その形状から変化して”ぬ”なりました。つまり、”保”は、「亻」「口」「木」から構成されますが、「亻」が、”ほ”の「|」(たてぼう)になり、「口」が”ほ”の上の横棒になり、「木」が”ほ”の残りの部位になりました。”利”を続け書きして崩して行くことで、禾(のぎへん)が”り”の左側の縦棒に、漢字の”利”の「リ」の部位は、ひらがな”り”の右側の縦棒になりました。以下、なぜその漢字からそのひらがなが生まれたのか、その詳細が分かるように、筆順を中心にひらがな一文字ずつ説明します。”川”は、河川(かせん)のように「せん」と読みますが、「つ」という音は持っていないのです。なお、カタカナの”レ”もひらがなと同様に、漢字の”礼”から生まれたと言われていますが、この場合は”礼”の右側が変化したと言われています。なお、カタカナの”フ”もひらがなと同様に、漢字の”不”から生まれましたが、この場合は”不”の最初の2画(本来の筆順)からできました。”比”は、比率(ひりつ)、比較(ひかく)などのように「ひ」と読みますが、これがそのままひらがなの”ひ”の音になりました。筆記を考えるとイメージしにくい面がありますが、草書体には「つ」を連想させる点があります。「久」は字音としては「きゅう」と読むのが一般的ですが、呉音(ひらがな”え”の項参照)の読み方としては久遠(くおん・仏教用語)などのように「く」と読みます。ところで一見すると、「何で”曽”が”そ”になるの?」と言う感じもしますが、筆順を見て行くと理解しやすいです。この時、「ニ」の部位が「一」のような形状に変化して、続く「人」の部位が”て”のカーブを描く曲線のように変化して”て”になりました。上記の様に、ひらがなの場合は”利”を崩して書いた結果として”り”になりましたが、カタカナの場合は”利”のりっとう「リ」から生まれました。ひらがなの”そ”は、「そ」のように一筆書きのように書くことがありますが、最初に点をうって「ソ」のように書いてから続けて「て」のように書いて、一筆書きのようにならない書き方があります。”波”は、波及(はきゅう)、波止場(はとば)、波浪(はろう)などのように「は」と読みますが、これがそのままひらがなの”は”の音になりました。なお、カタカナの”セ”もひらがなと同様に、漢字の”世”から生まれましたが、これは、ひらがなの”せ”の一画目と二画目を続けて筆記した字体が変化してカタカナの”セ”になったと言われています。また、ひらがなの”せ”から変化したのではなく、”世”の行書体から変化したという説もあります。なお、カタカナの”ト”もひらがなと同様に、漢字の”止”から生まれましたが、この場合は”止”の最初の2画からできました。従って、”无”は無理(むり)、無視(むし)などのように”无”の異体字である”無”と同じ「む」の音を持っていました。以上のように、ひらがなの由来の漢字を示しましたが、分かりにくいひらがなもあるかと思います。”宇”の初画(上部の点)の部分が、”う”の初画の部分に相当します。”川”を一筆で続けて書くと、上記のように3段に波を打ったような略体といわれる曲線になりますが、この時”川”の三画目の縦線を左下へ払うような形で筆を流すと、”つ”に近い形状になります。この「计」を更に崩すとひらがなの”け”のような字体になることをイメージすると、「計」を簡略化して「け」が生まれた流れが分かりやすいでしょう。昔の中国(周、漢や魏など)の時代の音が残ったものと言われています。なお、カタカナの”ヱ”もひらがなと同様に、漢字の”恵”から生まれたとするのが有力な説になっています。”之”は三画ですが、初画の「丶」(てん)以降の2画と3画を続けて書き、簡略化すると波を打った縦棒のようになりますが、これが変化してひらがなの”し”になりました。いずれにしても、ひらがなが漢字から生まれたことを理解するには、元の漢字の筆順を追っていくと理解しやすくなります。”留”は、留守(るす)のように「る」と読みますが、これがそのままひらがなの”る”の音になっています。字形の変化はこのように”州”でも”川”でも比較的分かりやすいのですが、問題は「つ」という音です。「末」は期末(きまつ)、末尾(まつび)などのように「まつ」と読みますが、「ま」の一音だけを用いてかたかなの”ま”の読み方になっています。これは、字の形が比較的似ていることから分かりやすいと思います。上記の写真では理解しやすいように横棒を突き出した筆記をしています。”乃”は、乃木坂(のぎざか)のように「の」と読みますが、この音がそのままひらがなの”の”の音になっています。”美”という漢字は、「羊」と「大」から生まれましたが、8世紀頃の日本ではこの「大」の代わりに「火」と書く字体がよく使われていました。”遠”から”を”ができたことはイメージしにくいですが、”遠”を筆順に崩して書くことで”を”になりました。読んでいても面白く、けっこう読まれていた記事でも、過去の記事となっていまうと、あまり読まれなくなることもあります。せっかくの...”末”は5画ですが、三画目の「|」に続いて4画目、5画目を続けて筆記すると、「ま」の形状の字体になります。つまり、”比”の左辺を書いた後に続けて「ヒ」の横棒を左から右につなげて書くような筆順から”ひ”に変化して行きました。草書体では、以の真ん中の点が左側の一画目の縦棒とつながるような筆記をしていました(図中の左の筆記)が、その筆記が縦方向に筆記されるようになり、「い」の左の縦棒になりました。”太”は4画で”た”も4画ですが、それぞれ”太”の画が”た”の画に対応しています。これは上述の「南無」を昔は「なむ」ではなく「なも」とも読んでいた場合などがあって、”毛”の音「も」も、「ん」の音に近い音とされていたからです。”為”の4つの点「灬」を囲っている形状が”ゐ”の曲線に残っているのが分かると思います。”爲”は”為”の旧字(異体字)に相当し、現在では”為”が使われますから、字源としては同等の意味になります。なお、カタカナの”テ”もひらがなと同様に、漢字の”天”から生まれましたが、この場合は天の最初の3画(終画の略)からできました。計は「言」(ごんべん)と「十」の部位から構成されていますが、このうち「言」の筆が縦棒のように変化して”け”になったと考えると比較的理解しやすいと思います。諸説が多い理由は、州も川も漢字として”つ”の音を持たず、他のひらがなの由来と比較しても珍しいケースだからです。渥美(あつみ)など人名ではよく「み」と読まれていますが、この音がひらがなの”み”の読み方になっています。”寸”は「一」+「亅」+「丶」の三画ですが、二画目の縦棒「亅」と三画目の点「丶」とを続けて筆記する字体から”す”となりました。”比”をそのままの筆順で崩し書きしても”ひ”のような字体にはなりません。実は、”川”の古音(こおん)には「つん」という音があり、この音の一音目の「つ」がひらがなの”つ”の音になりました。”為”は、行為(こうい)、為政者(いせいしゃ)などのように「い」と読みますが、これがそのままひらがな”ゐ”の音「い」になっています。この書き方をはやく崩して書くことで自然と”つ”のようになりました。漢字の形状から考えるとイメージしにくいですが、筆の筆順を考えると”州”が”つ”になることがイメージしやすいと思います。なお、カタカナの”ホ”もひらがなと同様に、漢字の”保”から生まれましたが、この場合は”保”の最後の4画からできました。”加”は読みとしても加算(かさん)など、「か」の音を持っていますので、そのままひらがなの「か」の音になっています。”无”は横棒二本「ニ」を書いた後「ノ」と「乚」を書きますが、続けて書く中に「ニ」の部分が小さくなって「ノ」と「乚」がつながってひらがなの”ん”になりました。”女”は、乙女(おとめ)のように「め」と読みますが、これがそのままひらがなの”め”の音になっています。”止”は止(と)める、波止場(はとば)のように訓読みで「と」と発音しますが、実はこの「と」がひらがなの”と”の音になった訳ではありません。仮名が生まれた時代と一致しますし、中国から伝来するものは、朝鮮を経て伝わるものが多かったとう背景があるからです。”与”は、供与(きょうよ)や与党(よとう)などのように「よ」と読みますが、これがそのままひらがなの”よ”の音になっています。”武”の書き順は本来、上部の横棒「ニ」を先に書いた後、「止」を書き、「\」の形状の部位を書いて最後に右上の「丶」(てん)を打ちます。”州”についても同様で、字音としてはシュウという音しかありません。しかし、”州”の古音に、比較的”つ”に近い音があることが分かっています。そして、この突き出る部分が、ウ冠「宀」の初画の「丶」(点)とつながる字体になっていて、この筆順で書き崩したのが、ひらがなの”あ”です。字音とは、伝来時期や方言の差によって同一漢字で色々な音がありその読み方を言います。”太”は、太陽(たいよう)、太宰府(だざいふ)、太刀(たち)など、「たい」と「だ」と「た」の3つの音があります。この書き方の場合、”曽”の字の最初の2画の名残が残っていると言えます。”寸”は、寸志(すんし)、寸法(すんぽう)、寸分(すんぶん)などのように「すん」と読みますが、この「すん」の一文字目の「す」の音が、ひらがな”す”の音になっています。この「をん」の「を」の一音だけを用いてひらがなの”を”となりました。”武”は武蔵(むさし)のように、「む」と読みますが、これがそのままひらがなの”む”の音になっています。”天”は「ニ」を書いて「人」を書きますが、これを筆で続けて書くと、「ニ」の下に「人」があるような字体になります。”以”は、以上(いじょう)など、「い」と読みますが、漢字の音「い」がそのまま、ひらがなの”い”の音になっています。書体の流れで説明すると、楷書体を崩したものが行書体ですが、この行書体をさらに崩して点や画を省略し、曲線を多くして書き表したものが草書体です。この草書体を更に簡略化して生まれた文字が「ひらがな」です。”安”は、ウ冠「宀」ですが、当時は草書体だけではなく行書体においてもワ冠「冖」を書いて、その下に女を書いていました。一方、以の右側(人のような字体)は楷書では二画ですが、草書では一筆(一画)で書き、これが簡素化されて”い”の右側の縦棒になりました。なお、カタカナの”へ”もひらがなと同様に、漢字の”部”から生まれましたが、ひらがなと同じく”部”のおおざとからできました。とても分かりにくいですが、楷書体とは全く異なる筆順だからこそ、字体も大きく異なっています。中国語の「計」は、現在では簡略された文字(簡体字)となって「计」となっていますが、これはごんべんの筆記を簡略化することで生まれています。先日の休日、外出先から家に戻る時に、昼食の用意を何もしていなかったので、外で買って食べることになりました。手短に済ませるため...漢字の”加”は、左辺の「力」(二画)と右辺の「口」(三画)で構成されていますが、ひらがなの”か”(三画)の最初の2画は「力」が変化し、最後の画は「ロ」が点「丶」に簡略化されてできました。では、「あいうえお」ひとつひとつの元となった漢字を見てみましょう。全体をまとめると下記の表のようになります。個々のひらがなをクリックすると詳細の説明へとびます。”部”の形状からすると、どうして”へ”になるのか疑問が生じると思いますが、実はひらがなの”へ”は、漢字”部”の中のおおざと「阝」の部分から出来ています。”知”は、知識(ちしき)、知恵(ちえ)などのように「ち」の音がありますが、これがそのままひらがなの”ち”の発音になっています。”毛”は、毛筆(もうひつ)や羽毛(うもう)など「もう」と読みますが、「も」の一音だけを用いてかたかなの”も”の読み方になっています。”津”は、近年でもひらがなの「つ」の代わりとして使われる漢字ですし、当然「つ」の音を持っています。世は、行書体でも草書体でも四画で、どちらも楷書体の四画を略して3画目を左方向に払う筆記になります。闘(鬪)を草書体で筆記すると、下図のように上部が「つ」のような筆記になりますが、これが鬪が「つ」の由来であるとする説の根拠のようです。これは、昔の中国では皇帝の名前をそのまま書いてはいけない慣習がありましたので、唐(7世紀)の第2代皇帝の「李世民」(りせいみん)の世の字を、画数を減らした「せ」のような書き方にしていた史実があるからです。なお、カタカナの”ユ”もひらがなと同様に、漢字の”由”から生まれましたが、この場合は、”由”の最後の二画から変化してできたと言われています。この時、二画目の「ノ」と「乙」を続けて筆記しようとして、「ノ」が右方向に払う「\」のような形状になり、そこから更に変化したのが、ひらがなの”さ”です。”利”は、利害(りがい)や利益(りえき)のように「り」と読みますが、これがひらがな”り”の音になりました。”美”は、美化(びか)や美術(美術)などのように漢音の「び」と読むことが多いのですが、呉音には「み」の読みがあります。この際、「禾」の書き順は、通常の「ノ」の後に「一」を書く順ではなく、「ノ」の後に「|」を書く順で書いたことから「口」につながって”わ”の字体になりました。なお、カタカナの”ネ”もひらがなと同様に、漢字の”祢から生まれましたが、この場合は”祢”のへん(しめすへん)からできました。どちらも字体が似ているので分かりやすいですが、”毛”の通常の書き順(横線三本を先に書く)ではなく、あくまで(横、縦、横、横)の書き順を崩して書いた字から”も”が生まれました。ひらがなの中には、今日の漢字の筆順とは違う書き方で生まれたものがありますが、ひらがなの”あ”もその一つです。なお、カタカナの”キ”についてもひらがなと同様に、漢字の”幾”から生まれました。ひらがなの”き”の最終画が省略されてカタカナの”キ”になったと言われています。”也”は、古文などで反語や疑問を表す「・・・や」などに漢字を用いる他はあまり「や」の読みとしては使われないようですが、達也(たつや)、竜也(りゅうや)、昌也(まさや)など、人名などで「や」の読みとして使われます。なお、カタカナの”ニ”は漢数字の”二”からできたと言われていますが、ひらがなと同様に、漢字の”仁”から生まれた(”仁”の旁から)という説もあります。”保”は、保険(ほけん)、保育(ほいく)のように「ほ」と読みますが、これがそのままひらがなの”ほ”の音になりました。なお、カタカナの”マ”ができた由来のひとつに、ひらがなと同様の漢字”末”から生まれたという説がありますが、この場合は”末”の最初の2画から変化したと言われています。先日、「長野は寒冷地か?」と題して投稿した時、長野は標高が高いので、長野より北にある緯度の高い都市よりも寒い、という内容を記述しました。...”み”の終画である「ノ」の部分があるのは、「大」の部位を持つ”美”からではなく、「火」の部位を持つ羙から生まれたことのあらわれです。女の字を「く」「ノ」「一」の順に書く時に、「く」の上部がワ冠「冖」の上に突き出ていました。(ちなみに、「ノ」は「一」の上に突き出ていた)なお、カタカナの”カ”についても、漢字の”加”から生まれましたが、この場合は”加”のへんからできました。また、”留”の異体字に”畄”という漢字がありますが、これもそれと関係しているようです。なお、カタカナの”ソ”もひらがなと同様に、漢字の”曽”から生まれましたが、この場合は曽の最初の2画からできました。また、ひらがなの「ん」は漢字の「无」に由来するとは言われていますが、”毛”が由来という説もあります。”礼”は、しめすへん「ネ」で構成されていますが、「ネ」を略して書くと、手偏(てへん)の横棒が無いような形状になり、右側が略された形状とつながって、ひらがなの”れ”になりました。なお、カタカナの”ナ”もひらがなと同様に、漢字の”奈”から生まれましたが、この場合は”奈”の最初の2画からできました。古音(こおん)とは、呉音が伝わる前から日本に伝来していた漢字の音のことで、古い万葉仮名などで使われていました。漢字の”无”は”無”の古文異体字で、古くは”無”と同じとして通用する漢字でした。”世”は、世界(せかい)、世帯(せたい)などのように「せ」と読みますが、この読み方がそのままひらがな”せ”の音になっています。”於”は、「~に於(お)いて」と言うように、「お」と読みますが、これは訓読みでひらがなの”お”の音のもとではありません。”由”は、「冂」を書いた後に、縦棒「|」をかいてから残りの横線二本を書く筆順ですが、これを崩して書くことで”ゆ”となります。”部”は、部屋(へや)のように「へ」と読みますが、これがそのままひらがなの”へ”の音になりました。なお、カタカナの”ヒ”もひらがなと同様に、漢字の”比から生まれましたが、この場合は”比”の右側(最後の2画)からできました。”呂”にある二つの「口」を続けて崩すように書くことで”ろ”となりましたが、当時の”呂”は「口」と「口」の間にある「ノ」がなくて「吕」という字体で、ここから変化したと言われています。このうちの「た」の音が、そのままひらがな”た”の音になったようです。しかし、”良”には本来、漢音の「りょう」と呉音の「ろう」という読みしかありません。但し、日本語としては馴染みがありませんが、「計」は呉音としては「け」とも読み、それに由来するという説もあるようです。”奈”は8画ですが、最初の2画「ナ」の部位が変化して”な”の最初の2画になり、”奈”の後半の6画(「\」のような形状の部位と「示」の部位」)が変化して”な”の中の「よ」のような形状の部位になりました。”由”は、由来(ゆらい)のように「ゆ」と読みますが、これがそのままひらがなの”ゆ”の音になっています。”呂”は、風呂(ふろ)や登呂(とろ)などのように「ろ」と読みますが、これがそのままひらがなの”ろ”の音になっています。連日うだるような暑さが続いていて、体力的にも辛い日々が続いています。今年は猛暑ということもあり、毎日のように35度を超える猛暑日となっていま...昔は”无”は”無”の略字でもあったため、仏教用語である「南無」を「南无」とも書いていました。「己」は自己(じこ)のように「こ」と読みますから、これがそのままひらがなの”こ”の発音になっています。”う”は、宇部(うべ)など、「う」と読みますが、漢字の音「う」がそのまま、ひらがなの”う”の音になっています。この形状から波を打った字体がなだらかになって”つ”になりました。”左”は左右(さゆう)、左遷(させん)などのよう「さ」と読みますから、これがそのままひらがな”さ”の発音になっています。本年も残り2ヶ月を切り、時間が過ぎる速さには驚くばかりです。新年を迎える時期になるたびに「もう1年経つのか」との思いを抱くのですが、...”州”を草体で書くと、上記のように丸を2つ描くように筆を走らせた後、”州”の終画の部分を長く伸ばします。中国語では”川”をチュアン(ピンイン表記:chuan)と発音しますが、この古音「つん」の名残が残っていると言えます。そして、この本来の”武”の字体からは大きく異なる草書体を、上図のように簡略化して書くことで”む”になりました。”不”の字体と”ふ”の字体は、形状が似ているため”不”を続けて書くことで”ふ”ができたことは分かりやすいと思います。ここでは、由来の漢字を改めてきちんと整理してまとめ、対応する漢字からどのように変化したのかについて、その書体からの筆記の変化がハッキリ分かるようにしました。”ゐ”は”為”を大きく崩してかなり簡略化されていますのでイメージしにくいですが、”ゐ”は確かに”為”から生また字です。しかし、これには少し不自然なところがあります。実は、奈良時代には、”祢”のしめすへん「ネ」の代わりに、のぎへんである「禾」がよく使われていて、”祢”ではなく”称”という字が多く残っています。また、もう一つの説である鬪ですが、これは闘の旧字に相当し、鬪の新字体として闘が生まれました。なお、カタカナの”ヌ”もひらがなと同様に、漢字の”奴から生まれましたが、この場合は”奴”の旁(つくり)からできました。”恵”を崩して書くなかで、”恵”の上部が「る」のような形状に変化し、「心」の部位がそれとつながって”ゑ”の字体になりました。”遠”も”を”も、最後は筆を左から右に横に走らせる点に字源の面影が残っています。”仁”の「亻」(にんべん)を続けて書くと「|」のようになりますから、”仁”が”に”に変化したことは分かりやすいと思います。将棋の駒の飛車が成ると竜王になりますが、これは龍王とも書きます。しかし、古代の生物である恐竜は恐龍と書くことはありません。...なお、カタカナの”シ”もひらがなと同じで漢字の”之”からできましたが、これは”し”の上部に「丶」(てん)を打つ書き方において、最後の画を右上に跳ね上げるように筆記するようになって生まれました。また、ひらがな「つ」の由来には諸説が多く、”州”や”川”の他にも”津”や”鬪”から作られたともいわれています。”女”の筆順は、「く」、「ノ」、「一」ですが、この筆順を続けて書くことで”め”となります。なお、カタカナの”リ”もひらがなと同様に、漢字の”利”から生まれましたが、その誕生の仕方が異なります。”お”の字体に「丶」(点)があるのは、”於”の右側の旁の部位を書くときに、下方の2つの点を先に書いてから上方の「∧」を書く筆順をしたことによります。通常の書き順だと”わ”のような字体にはなりにくいことがよく分かると思います。於の旁(右側)は、草体から変化する過程で、下の点2つを先に書いていた”以”の草書体は、以という漢字を筆書きして略した字にするイメージで考えると分かりやすいです。このような経緯で”止”を崩して書いた字が自然に変化して”と”になりました。「どちらにお住まいですか?」といった会話から、お住まいは「一戸建てですか、それとも集合住宅ですか?」なんて会話に発展することがありま...”仁”は、仁王(におう)のように「に」の音がありますが、これがそのままひらがなの”に”の発音になっています。なお、カタカナの”ロ”もひらがなと同様に、漢字の”呂”から生まれましたが、この場合は”呂”の画の一部からできました。”衣”の草書体をそのまま筆でくずして書いてできた字がひらがなの”え”です。東京に帰省する時に、機会を見て足を運ぶのがアメ横です。今年の正月、久しぶりに時間を作ってそのアメ横に足を運んだのですが、商店街に立ち...なお、カタカナの”ク”についてもひらがなと同様に、漢字の”久”から生まれましたが、この場合は”久”の最初の2画からできたと言われています。仮名が発達した時代には「ん」という音そのものは無く、11世紀に入ってから「ん」という音が使われるようになった結果、「ん」に近い音を持つ「む」の仮名が転用されるようになりました。”留”は、今はこのように書きますが、昔は”留”の「刀」の部位の代わりに「口」を書く字体や、「田」の上に「口」を横に2つ並べて書く字を書くのが一般的でした。そして、ひらがなが発達した平安初期以前の奈良時代の書物の中にも既に「せ」という字体が随所に見られることから、この「せ」の書き方がそのままひらがなの”せ”になったのではないかと考えられています。なお、カタカナの”ワ”もひらがなと同様に、漢字の”和”から生まれたという説がありますが、”ワ”になった説については諸説があります。これは、衣には漢音の「い」と呉音の「え」の2つの字音があり、呉音の「え」がひらがな「え」の読みになっているからです。”也”は三画ですが、その3画目を曲げずに下に延ばすして書くことでひらがなの”や”になりました。形状がとても似ていて分かりやすいですね。この違いは、ひらがなの”り”は、左右を続けて書くような字体(ひだりのハネが、右につながる形状)をしていますが、カタカナの”リ”は、左右の縦棒がそれぞれ独立した字体になっている点に表れています。また、ひらがなの発音と漢字の音との関係が良く分かるように解説も加えました。”和”は、平和(へいわ)や昭和(しょうわ)などのように「わ」と読みますが、これがそのままひらがなの”わ”の音になっています。ひらがなの”し”の中には、”し”の上部に点を打った字体で筆記する場合がありますが、これは”之”の初画である「丶」(てん)の名残です。しかし、先に「日」と書いてから最後に縦棒「|」を書く順で筆記して簡略化しても”ゆ”の字体になることから、筆順としてはこちらの方が自然だと言う説もあります。その結果、行書でも草書でも「方」は「オ」のような字体をしていましたが、「オ」を書く筆順に続けて”於”の旁(つくり)の部位を書きましたので、”お”のような字体になりました。”ゑ”は現在では”え”に統一されていますが、昔の仮名遣いでは分けていました。なお、カタカナの”メ”もひらがなと同様に、漢字の”女”から生まれましたが、カタカナの場合は、”女”の最初の2画から生まれました。草書体では、”武”の字体をイメージしにくいですが、実際にそのように筆記されていたのです。”曽”は簡易慣用字体とよばれ”曾”の異体字ですから、”曽”からできたとも言えます。”良”は、野良(のら)や奈良(なら)など「ら」と読みますから、これがひらがなの”ら”の音のなったように見えます。久は三画で「ノ」+「フ」+「\」の順に書きますが、字体を崩して書く過程で「ノ」と「フ」を続けて書いた後に「\」を書くようになった結果、「人」という漢字の一画目の上部が波を打って少し長めになるような「人」に近い形状の字体になりました。つまり、”太”の「一」(初画の横棒)は”た”の横棒(初画)に、”太”の「ノ」(2画)は”た”の縦棒(2画)に、”太”の「\」のような形の部位(3画)は”た”の中の「こ」の上部(3画)に、”太”の「丶」(4画の点)は”た”の中の「こ」の下部(4画)に相当します。”良”の初画が”ら”の最初の「丶」(点)に該当し、全体の形状も似ているので比較的分かりやすいと思います。古音とは、ひらがな”つ”のところでも説明しましたが、古い音のことです。”知”を書くときは、「矢」と「口」を書きますが、草書体を崩して書く過程で、「矢」は”ち”の中の「十」の形状の部位に、「口」は”ち”の中の「つ」の形状の部位に変化して行き、”ち”の文字になりました。「計」は合計(ごうけい)、計算(けいさん)などのように「けい」と読みますが、このうち「け」の一音だけを用いてかたかなの”け”の読み方になっています。なお、カタカナの”コ”もひらがなと同じで漢字の”己”からできましたが、この場合は”己”の最初の2画からできました。”奈”は、奈良(なら)のように「な」の音がありますが、これがそのままひらがなの”な”の発音になっています。このように”州”がひらがな”つ”の由来の漢字だとする説の場合も、”つ”の音は”州”の古音からきていると言われています。”与”をつなげて筆記して書き崩すことで”よ”となりましたが、当時の”与”の字は、”与”の横棒が右に突き出ない字体が普通でした。そして、この省いた字体を草体で書いて崩した書き方をした結果、ひらがなの”き”となりました。実は、ひらがなの”と”の発音は、”止”の古音(こおん)に由来しています。これについては、漢字の”祢”からひらがなの”ね”が生まれたのと同じです。”左”は五画で、「一」+「ノ」+「工」の順番で書きますが、草書体では最初の二画「ナ」に「エ」を崩した「乙」のような形状になります。”奴”は、奴隷(どれい)のように「ど」と読みますが、これは漢音です。”奴”には呉音として、奴婢(ぬひ)、奴僕(ぬぼく)のように「ぬ」という読みかたがあり、この音がひらがなの”ぬ”の音になっています。なお、カタカナの”ノ”もひらがなと同様に、漢字の”乃から生まれましたが、この場合は”乃”の初画からできました。日常使う言葉としてはありませんが、”於”には、音読みとして「お」という読み方もあり、この音読みがひらがなの”お”の音になっています。その後、「人」に近い形状の一画目と二画目を続けて筆記するようになって、ひらがなの「く」となりました。”ゐ”は現在では”い”に統一されていますが、昔の仮名遣いでは分けていました。”止”は4画で、第1画目である「|」(縦棒)から書き始め、続いて第2画目である「-」の後、3,4画目を書きます。”不”は、不可(ふか)、不能(ふのう)などのように「ふ」と読みますが、これがそのままひらがなの”ふ”の音になりました。世の場合、草書体も行書体も筆記が似ていることから、草書体から変化したという説がある一方で、行書体を書き崩してできたと言う説も有力視されています。”宇”という漢字を筆でそのままくずして書いてできた字がひらがなの”う”です。先日、自動車を走行中に「キリ注意」の表示がされていたのを見て「霧って、そもそも靄(もや)とは何が違うのだろう?見た目は同じではないか...呉音は南方系の読みと言われ、仏教関係の言葉によく見られ、白衣(びゃくえ)など”え”と読むのがその一例です。「礼」は礼節(れいせつ)、礼儀(れいぎ)などのように「れい」と読みますが、「れ」の一音だけを用いてかたかなの”れ”の読み方になっています。”之”は、一般に「これ」、「この」、「の」などと読み、「し」という読み方は固有名詞で使うくらいしか馴染みが有りませんが、字音としては「し」の読みをします。なお、カタカナの”オ”についても、漢字の”於”から生まれましたが、この場合は”於”のかたへん(ほうへん、とも言う)からできました。そして、2つの点と「呂」のような字体を続けて筆記しながら更に簡略した書き方にすると、ひらがなの”そ”になります。ひとつの説として、上記の「りょう」や「ろう」は古い仮名遣いではそれぞれ「りゃう」「らう」と読みますが、このうち「らう」の一音目の「ら」がひらかなの”ら”の音のもとになったとするものがあります。”恵”は、知恵(ちえ)、恵比寿(えびす)などのように「え」と読みますが、これがそのままひらがな”ゑ”の音「え」になっています。「遠」は久遠(くおん)、遠国(おんごく)などのように「おん」と読みますが、古い仮名遣いでは「をん」と書いていました。最初の横画を書いた後、筆を左方向に折り返す筆記の時に”筆が離れてこ”の上部になり、続けて筆記する「乚」の部位が”こ”の下部になりました。つまり、”乃”を自然に一筆で筆記することで”の”のような字体へと変化して行ったのです。つまり、幾の中の2つの「幺」を書き、横棒「一」を書き、縦の「\」の形状の部位を書き、最後に左下の「人」の部位の筆順を崩して書くことで、ひらがな”き”になりました。”曽”は11画で最初の2画に相当する2つの点と、中間にある「田」(5画)と、下方にある「日」(4画)の部位で構成されています。中国語を学ぶようになってから、以前よりも漢字にとても興味が湧くようになりましたが、日ごろ使っている「ひらがな」の由来が漢字であることを思い出し、それぞれの「ひらがな」がどの漢字に由来しているのかを知りたくなりました。これは、省文(せいぶん)や省字(せいじ)と呼ばれ、漢字の字画を省略する書き方で、他の漢字などでもよく使われてきた書き方です。”安”は、安全(あんぜん)、安泰(あんたい)など、「あん」と二音に読みますが、このうち「あ」の一音だけが、ひらがなの”あ”の音になりました。”己”は楷書体では三画ですが、草書体では一筆書きのように全てを続けて筆記する一画になります。(図の左側)なお、カタカナの”ン”もひらがなと同様に、漢字の”无”から生まれたとする説があります。最初の2画の点の後に「田」と「日」を続けて書くと、2つの点の下に「呂」に似た形状の字体があるようになります。”祢”は9画で、しめすへんの「ネ」と旁(つくり)の部分「尓」から構成されていますが、「ネ」を略して書くと、手偏(てへん)の横棒が無いような形状になり、右側の「尓」が略された形状とつながって、ひらがなの”ね”になりました。”安”の草書体を簡略化してひらがなの”あ”となりましたが、現代の”安”をそのまま書き崩してできたわけではありません。当時の”奴”は、「く」+「ノ」+「一」と書く「女」の部位において、「ノ」の上部を「一」の上に突き出して書くのが普通で、この書き方から変化したことで”め”のような字体になりました。”与”は、漢字の「與」の略体ですから、”よ”は”與”に由来するという言い方をしても、決して間違いとは言えないでしょう。小学校時代の遠い記憶にはあったのですが、ほとんど思い出せず、却って興味津々になったのです。なお、カタカナの”ツ”もひらがなと同様に、漢字の”州”又は”川”から生まれましたが、これについても諸説があります。これをイメージしながら、”太”を崩して書くと”た”になるのがよく分かると思います。なお、カタカナの”ヤ”もひらがなと同様に、漢字の”也”から生まれました。同じような流れで似たような形状のひらがなになったのが、”ね”と”れ”です。(上述を参照)”曽”は、木曽(きそ)のように「そ」と読みますが、この読み方がそのままひらがな”そ”の音になっています。「天」は天気(てんき)、天井(てんじょう)などのように「てん」と読みますが、最初の「て」の一音だけを用いてかたかなの”て”の読み方になっています。ちなみに、”与”の横棒を”突き出して書くようになったのは室町時代からと言われています。禰宜(ねぎ)のように祢も禰も「ね」という呉音を持ちますが、これがひらがなの”ね”の音になっています。漢字の”乃”の形状だけ見ると、そこからひらがなの”の”が生まれたことはイメージしにくいですが、”乃”の初画はあくまで「ノ」の部分ですから、そこから二画目につながるように筆記すると、”の”のような形状になることが分かると思います。なお、カタカナの”モ”もひらがなと同様に、漢字の”毛”から生まれました。幾は、幾何(きか)などのように「き」と発音しますが、これがそのままひらがなの”き”の音になっています。長野で新たに開設した銀行口座から、ATMを利用して4万2千円を引き出したところ、千円札が42枚出て来て、少しおどろきました。「えっ?...現在の”女”は、2画目の「ノ」が3画目の「一」の上に出ることはありませんが、昔は2画目の「ノ」を3画目の「一」の上に突き出して書くのが通常でした。生活上の日々の疑問を考え、「なるほど!」となっとくを目指すブログ二画と三画の縦棒を続けて書く流れから自然と縦画がひとつ簡略化されて、”せ”のような字体になりました。この「く」の読み方がそのままひらがなの”く”の音になりました。この読み方は、久留米(くるめ)や久喜(くき)など固有名詞でも使われています。”惠”は”恵”の旧字に相当し、現在では”恵”が使われますから、字源としては同等の意味になります。”和”の左側の「禾」からそのまま右側の「口」に続けてかくことからひらがなの”わ”が生まれました。昔の朝鮮(新羅の時代以降)で用いられた表記法に、吏読(りと)と呼ばれ、漢字の音訓を用いて朝鮮語の助詞や助動詞を書きあらわしていたものがありましたが、その表記の中で”良”を「ら」と読んでいたそうです。そして、この「火」を使う字体「羙」が崩れてひらがなの”み”になりましたが、「火」の部分2つの点を先に書かずに、「人」の部分から先に書く筆順が簡略されて”み”になりました。3,4画目を続けて一筆で書くと、「L」のような形状になりますが、1,2画に続けてこの「L」を一筆で書こうとすると、ちょうど”と”を一筆書にした形状に近くなるのが分かると思います。実際は、奈良時代には”礼”のしめすへん「ネ」の代わりに、のぎへん「禾」を用いる字体がよく書かれていましたので、その字体から変化したと考えるべきだと言われています。従って、当時のこのような字体から変化してひらがなの”る”が生まれたと考えるのが自然です。 「ない」なのか「無い」なのか?こんな場合は漢字だっけ?ひらがなだっけ!?と日本人でも混乱してしまう「ない」という言葉の使い分けをわかりやすく解説してみました。これさえわかれば、もう予測変換で迷わない!